100年以上の歴史ある下関貯金局の残念な廃止 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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郵便貯金の管理を行っていた貯金局は明治時代に作られ、明治20年に宮田町に新築移転し、明治25年の下関の地図にも記載されている。

残念なことに、つい最近廃止されていた。コンピュータとインターネットの時代に再編は不可避ではあった!

赤間関為替貯金局出張所(明治二十年) 、山口県以西を範囲とした郵便貯金事務を取扱う赤間関駅逓局第四部貯金課出張所は、はじめ外浜町にあったが、明治二十年四月、宮田町に新築移転。大阪についで二番目に古い貯金支局であった。(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)

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明治25年(1892年) 貯金局が紅石山の西山麓にあった。

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昭和20年(1945年、東京第一ホテル下関の壁面パネルより)空襲以前、貯金局あたり

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昭和43年(1968年、ふるさと下関より)、中央に貯金局の建物


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平成28年(2016年)現在、山口県下関市宮田町1-6-1、現マックスバリュー宮田町店


参考

① 郵便貯金創業(参考)

1875年(明治8年) 5月2日


② 下関郵便貯金支局

下関郵便貯金支局

これも大正元年の写真である。明治一九年に下関駅逓出所にはじまる。下関は大阪についで二番目に古い貯金支局であった。昭和二○年七月の空襲により庁舎は一号事務舎だけを残して灰となり二四年七月までもとの山陽百貨店の三、四、五階を借りた。二四年六月郵政省ができて下関地方貯金局となった。

(写真集 明治大正昭和 下関より)


③ 貯金局(貯金事務センター)の再編(wikiより)

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