下関の測候所から地方気象台へ | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

明治16年、下関測候所が設置された。明治25年の地図に見出せる。以来、昭和53年までほぼ同じ場所に存在し、竹崎町の合同庁舎に移転した。

{92D57D4F-66E5-44E3-BC3B-56ABB52E2935}
明治25年(1892年)

{E2CD9992-99B6-4E9E-8C6A-3D579B032ADB}
明治32年(1899年)

{372F38E6-FBF1-4B75-A4E8-7914A546AB61}
大正8年(1919年)

{5F9037AD-4759-4FC6-BEE2-57E8EC88482E}
大正9年(1920年)、T記号の所

{87B1C26D-E635-4B15-A313-780C013608F6}
昭和43年(1968年、ふるさと下関より)、中央左の立方体

{F0D530B9-E7CA-4F3D-A658-44A2CB593096}
昭和45年(1970年)、T記号の所

{82DA8785-978A-4B01-A7D3-05AE050E9567}
昭和50年頃の下関地方気象台、名池町(ふるさと下関より)、手前の三角屋根の民家が平成28年現在でも存在する。


下関地方気象台(昭和五十年ころ) (しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)

明治16年、全国で19番目となる測候所として、古弁天山頂にて開設された。以来、同地で下関の天気を観測し続けていたが、昭和54年に竹崎町の下関地方合同庁舎へ移転している。(名池町·昭和54年,提供= 谷山昇氏)

(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)

{5BD7B54B-A512-416E-847D-B9F8EEAF13D3}
平成28年(2016年)現在、住宅地となる。名池町。北東方向に市役所がある。

{932B306F-4C53-4B8E-BFA9-B4230144B4A9}
中央あたりの住宅地。東上空から見下ろす。


参考

① 下関地方気象台の沿革(参考)


明治16年1月、下関測候所設置、気象観測業務開始(赤間ヶ関区関後地村字古弁天山頂:現在の下関市入江町付近)、全国で十九番目に開設された。
昭和13年10月、中央気象台下関測候所と改称
昭和32年9月、下関測候所が下関地方気象台に昇格
昭和53年12月、下関地方合同庁舎に移転(下関市竹崎町4丁目)

(千畳ヶ原 下商物語より)(彦島のけしきより)


② 現在の下関地方気象台(参考)

{F7B4A112-FF29-4EC9-9141-886E95EB927A}
合同庁舎内

{101A9BD2-BB10-4C73-A11A-BBA7B8FA52AB}


③ 無人観測装置が元の敷地内の後背部にあった。

{0B7C809C-6D81-490E-8BEE-BC5C2751F3AA}