北浦街道と国道191号線、下関北バイパス | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

旧国道191号線、垢田辻交差点近くの垢田八幡宮の鳥居前に最も海岸寄りの旧北浦街道があった。ここに赤間関と伊崎に分かれる道標があった。

この道標から左に向かえば、山の田から幡生、旭、山の口、唐戸(赤間関)方面、右に向かえば武久、汐入、大坪、上新地、伊崎方面となる。

また手前、北方向に向かえば綾羅木、梶栗、冨任、上安岡、福江、、となる。

{808F6776-CCDD-47ED-AC5D-A6282A5B5C77}
垢田八幡宮前の道標、左 セキ(赤間関)、右 イサキ(伊崎)

{D2EC52B8-C59D-4ABC-92DE-91BA28B6C0EF}
中央に道標がある。右手に旧国道191号線がはしり、やや上部に現在の垢田の辻がある。


参考

① 下関北バイパス

2015年3月28日に開通した下関北バイパスは綾羅木・山の田交差点あたりの旧国道191号線の慢性的渋滞を解消した。安岡あたりの住民は大変満足している。

下関市の新市域の幹線として期待される。

{A6CD2C30-A3FD-400E-8E19-B4CDF569E70A}
2016年現在、下関北バイパス(新国道191号線)

{5A09BD30-EA34-4700-9B9A-F53F8DFFD191}
グーグルマップ

{3F189779-05C8-4BD2-84AD-A0A2EBD8B9DE}
下関北バイパス概略、破線が新規のバイパス、実線が旧国道191号線

{15AA082E-D7F7-4189-8831-D7B4616E3560}
南端: 汐入あたりからバイパスへ

{4CE70AEF-AA6D-4D03-8D3F-92FB92FF799A}
武久交差点

{ABBA5B15-2950-42B3-8F78-DF3E6CA318BF}
武久交差点上部

{479A2B0F-D1F8-4932-B176-644CA292FF68}
垢田から綾羅木の間: 左手が響灘、綾羅木海岸

{EA0D5458-39E9-4A54-AEEE-186460F84B0E}
北端: 安岡冨任から北方向

{D2B815F0-F00F-456D-B23F-93ECA591A7DF}
北端: 安岡冨任から南方向


② 安岡以北の旧北浦街道(参考)


③ 安岡冨任交差点(参考)


注意:

現在の国道191号線を北浦街道と呼んでいるが、本来は旧道を北浦街道、さらに山沿いの農免道路など江戸時代までの古道を北浦往還、または赤間関街道北浦筋とよんでいる。ここでは旧道を旧北浦街道とよぶ。

また、下関北バイパスを現在、国道191号線と呼び、従来の国道をここでは旧国道191号線(県道248線)と便宜的に呼ぶ。