平安海進と吉見の塩田 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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下関市大字吉見から大字永田あたりの平安海進を推定した(参考)。ここでは+4mの海面上昇を仮定すると日本最古とされる塩田の敷地に一致した(参考)。

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吉見から永田の町から北部の水田は海面に飲み込まれていた。

ここに永田神社があり、平安時代より前の779年に創建されたとか!それ以前から揚浜式塩田があったようだが、平安時代になってから入浜式塩田が始まった。すなわち、人力で汲み上げなくても平安海進で海水を取り込むことが容易になったことが理解できる。


参考

① 塩田の歴史(参考)

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② 海面上昇計算地図(参考)