潮の干満を考慮した長府の土塁と思しき高台の出来方の考察 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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平安海進時の最大+4mの海面を設定すると、現在の国道2号線と9号線の走るあたりから江戸時代の旧山陽道あたりが水没して海岸線となる。さらに+6mの海岸線を仮に描くと、忌宮神社から北北東へ土塁状の高台が伸びていることが浮かび上がって来る。

この高台は自然のものか、人工的なものか?疑問が出てくる。このあたりの海岸は干満で遠浅の干潟が出来、潮の流れによって砂嘴が出来る場所では無い。干満、台風などによる高潮など、周防灘の潮の満ち引きで自然に+2m以上の高台が出来ることは、長府から王司、小月あたりまでの海岸全体を考慮すると考えられない。

やはり、人工的に真砂土や砂など手近な材料を盛り上げた土塁で、四王司山からの土砂崩れから古代の山陽道や長門国府を守る土塁と考えたほうか自然である(参考)。


参考

① 平安海進(+4m)の時の長府の海岸線

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平安海進(+4m)時の海岸線(国道2号線と9号線より東側の現在の埋立地は無視すること)


② 仮に+6m、海面が上昇したと仮定した場合

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+6m上昇させた場合の海面(国道2号線と9号線より東側の現在の埋立地は無視すること)


③ 平安海進時の下関市(参考)


④ 海面上昇計算地図(参考)


⑤ 土塁の北端部は未完ではあったが、計画されていた(参考)


⑥ まさに人工的なもので、町の拡大に合わせて延長させていた(参考)