古代の土木技術は馬鹿に出来ない | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

古墳時代中期以降、すでに牛馬が日本に輸入されており(参考)!後年の太閤秀吉の時代と土木技術レベルは大きな違いは無い。ちなみに、秀吉は名護屋城や大坂城を1から2年程度で作っている。

 
参考

①-1 秀吉の大坂城は、本丸の築造に約1年半を費やし、その後も秀吉が存命した15年の全期間をかけて、徐々に難攻不落の巨城に仕上げられた(参考)


①-2 また、朝鮮出兵の基地、肥前名護屋城は突貫工事で8ヶ月で出来上がった(wikiより)

{D3658D9E-1458-4D1B-8120-B72ECD10DB64:01}

{2AE11DFD-7A5C-4EEF-A841-6F7097FF5AE3:01}


①-3 信長の安土城は3年で出来た(参考)

{CF1014C5-A92A-46BC-83B2-1D64B9BB3226:01}


①-4 備中高松城の水攻め(参考)

天正10年(1582)、織田信長の命を受け羽柴秀吉は、備中国南東部に侵入し毛利方の諸城を次々と攻略するとともに、3万の大軍をもって、備中高松城を攻めた。秀吉は、高松城主清水宗治に利をもって降伏するよう勧めたが、義を重んじる宗治はこれに応じなかった。

高松城は深田や沼沢の中にかこまれた平城で水面との比高がわずかに4mしかなく、人馬の進み難い要害の城であった。秀吉は参謀黒田官兵衛の献策に戦史にも稀な水攻めを断行し、兵糧攻めにした。秀吉は、備前国主宇喜多氏の家臣千原九右衛門勝則を奉行とし、3kmに及ぶ堤もわずか12日間で完成させた。


①-5 お台場(参考)

嘉永6年(1853)、アメリカ・ペリー艦隊が浦賀に来航したことを機に、江戸湾防備を見直し、最終的には当初の計画よりも江戸府内に近い品川沖に11基の台場を築造することになりました。設計担当は江川太郎左衛門英龍ら。実際には6基が完成した段階で計画は中止されましたが、1年4ヶ月という短期間で5基の海上台場と1基の地上台場が完成しています。


② 人力による巨石の運搬の例(参考)

{A085F751-DB1A-49D8-AA8B-7969D4C7D9A1:01}

{88761A8B-2959-4086-9351-F5E0D758294F:01}


③ 巨石運搬用の修羅の出土(参考)

{A068B224-B877-4D62-9101-125CB46914B6:01}


④ 牛馬による輸送(参考)

{A1A80400-85A1-46F8-A71D-D817ADC57552:01}


⑤ 古墳時代、阿蘇のピンク石を大和にまで運ぶ技術があった(参考)



⑥ 名古屋城の築城(参考)、巨石の海上輸送

{43E128BC-C03D-49FB-B699-818C65A403DC:01}


⑦ 大坂城の石垣の巨大石は実は薄っぺらいものだった(参考)

{B5C03CAB-F0BC-4A30-A281-117149F1C7C3:01}

{B925EFB3-EB7B-45CC-9E86-EE78F7763883:01}


⑧ 古代の官道(高規格道路)の全国ネットワーク(参考)


⑨ 大阪狭山市の狭山池、太宰府市の水城、香川県の満濃池(参考)


10 滑車、クレーンなど土木機械もあった(参考)