太宰府市の大宰府政庁跡地以南の条坊制の都と想定される地域と周辺の地域を昭和50年の航空写真で比較してみた。太宰府市には都としての条坊制も、水田に適用される条里制も見当たらなかったのに対し、他地域は美しい条里制の水田が保たれていた!
太宰府市あたりだけが戦乱や災害(水害とか地震)で破壊されたとは考え難い、元々、大宰府政庁跡地周辺には条坊制は無かったと考えた方が素直である。
すなわち、大宰府政庁はヤマト政権の出先機関であり、白村江の戦いの敗戦以降の前線基地として設置されたが、都としての都市計画までは考えられていないと考えた方が素直である。
参考
① 大正時代の地図でも、太宰府市あたりには条坊制は無かった(参考)
② 山口県防府市は、古代の周防国府であったが、美しい条坊制を今日まで保っている(参考)
③ 太宰府天満宮は出来てからこのかた安定して存在したので、大宰府政庁周辺から以南も地形を変えるような災害は無く、条坊制は存在しなかった(参考)
④ 政庁のⅡ期(奈良時代)とⅢ期(平安時代)に若干、条坊制地割の道路が作られた(参考)