恩賜財団山口県済生会下関総合病院 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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武内宿禰お手植えの楠木の様に、何千年後に巨樹になっていて欲しい!

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参考

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明治44年2月11日、明治天皇は、時の総理大臣、桂太郎を召されて「医療を受けることができないで困っている人たちに施薬救療の途を講ずるように」というご趣旨の「済生勅語」とその基金として御手元金150万円を下賜された。

これをもとに伏見宮貞愛親王を総裁とし、桂総理が会長となって恩賜財団済生会を創立されました。以来、創立の精神を引き継ぎ、医療サービスと福祉の増進に必要な諸事業を全国的規模で行っています。

戦後は、昭和26年に公的医療機関の指定を受け、同27年に社会福祉法人の許可を受け、現在、社会福祉法人恩賜財団済生会となっています。

当院は、大正13年に下関診療所として開設以来、済生会創立の精神を守り、地域の医療・福祉の充実に力を入れてまいりました。 平成17年4月に下関市安岡町へ新築移転し、建物は耐震や自己電源の確保を行うなど災害への対応を強化し、診療面では高度医療に対応できるよう機能面でさらなる充実を図っている。急性期の二次救急病院として新たにへリポートも設置し、24時間の救急体制を強化しており、また、地域周産期母子医療センターや小児救急医療拠点病院の指定を受け、山口県西部の基幹病院として診療を展開している。がんの診断や早期発見のために山口県西部地区で初めてPET-CTを導入し、さらに体幹部定位放射線治療が可能なLINAC、2方向同時撮影が可能なANGIO、MRI等の最新医療機器を設置し、高度医療に取り組んでいる。また、他の医療機関との協調体制をとりながら機能を分担し、H23年度には、地域医療支援病院、災害拠点病院に指定され、地域における中核病院として地域医療連携に積極的に推進している(参考)