北九州市若松区の響灘西海岸 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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戸明神社が元あった戸明浜は響灘に面した岩屋と柏原の間の海岸沿いの有毛あたりにあり、西方に宗像市の地島や大島を眺める場所であったと云われている。

この辺りは日本書紀の神話に出てくるが、仲哀天皇が山鹿岬経由、神功皇后が洞海湾経由で芦屋の岡の水門(岡湊神社あたり)で落ち合ったとか、神武天皇が東征のみぎりに同所に滞在した。

また、海人族安曇氏の根拠地であった。


参考

① 戸明浜、北九州市若松区の岩屋漁港と芦屋町山鹿の柏原漁港の間(参考)

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② 戸明神社の旧地、戸明浜(参考)

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③ 洞山、柏原漁港、神功皇后が開けた穴

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④ 洞山のある柏原漁港にある蛭子神社

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注: 芦屋町あたりには6社もの蛭子神社があるとか(参考)



⑤ 神武東征(参考)


⑥ 岡の県主の祖・熊鰐が、仲哀天皇を若松半島の北岸、響灘経由、神功皇后は洞海湾経由して岡の水門に案内した(参考)