神功皇后の国、山口県 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

山口県は神功皇后を祀っている神社数でトップクラスを誇っている。その意味でも渡来人や海人族安曇氏(武内宿禰)とのつながりも強い。


参考

①-1 神功皇后を祀る神社分布(参考)

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北海道2滋賀県4青森県2京都府14岩手県3大阪府20宮城県5兵庫県61秋田県3奈良県7山形県14和歌山県10福島県6鳥取県8茨城県2島根県53栃木県3岡山県33群馬県5広島県33埼玉県10山口県138千葉県6徳島県19東京都15香川県52神奈川県9愛媛県39新潟県9高知県17富山県5福岡県68石川県16佐賀県15福井県12長崎県7山梨県17熊本県14長野県11大分県55岐阜県11宮崎県14静岡県24鹿児島県14愛知県19沖縄県1三重県3


①-2 神功皇后を祀る神社トップ3(皇學館大学神社研究会)、、、正確度は上がっているが、まだまだ、未調査の神社がある。我が街の八幡宮が未記載

福岡県 261社
山口県 223社
石川県 195社




② 神功皇后神社、美禰市

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【鎮座地】〒759-2151 山口県美祢市西厚保町本郷498 旧長門国 美禰郡
【御祭神】神功皇后 仲哀天皇 應神天皇 住吉大神 仁徳天皇
【例祭】7月30日 夏越祭 10月10日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
 神功皇后神社 由緒
応永三十二年(一四二五)、下関市長府の忌宮神社より勧請。永享二年(一四三〇)、源義秀社領を寄進す。昔、当地を集め村といい、転じて厚保村となる。神功皇后三韓へ出陣の際、此の地にて兵を集め給うに依る と伝えられる。皇后の偉徳を仰慕して神功皇后神社と称す。


③ 神功皇后神社、下関市(参考)

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所在 山口県豊浦郡豊北町大字神田上千七百番地

主神 神功皇后

配神 仲哀天皇 應神天皇 住吉三柱神 事代主神 蛭子神

例祭 11月8日

宝物 木造狛犬 室町時代1対、伝蒙古鉢

由緒 

後宇多天皇の弘安年中(1278~)に蒙古軍が土井ケ濱に襲来した時に執権北條時宗の命を受けて此の地に派遣された武将が蒙古軍を撃退することの容易でないことを憂いて神功皇后新羅征討の故事を思い幣帛を奉って奉斎したところ神の御稜威が現れて蒙古軍を無事撃退出来た事を感謝し伏見天皇の正應元年(1288)正月二十九日から御祠の造営にかかり七月十日に成就した

社殿 寛永三年(1626)七月吉日 再建

現拝殿 昭和五十七年三月吉日 建立

特殊神事  
濱殿祭は蒙古襲来による多くの御霊を鎮め奉り悪疫退散と平和を祈って七年に一度行われる

昭和51年11月24日山口県無形民俗文化財指定
(境内由緒板(石造・昭和61年)より)



④ 齋八幡宮(いつきはちまんぐう)

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【鎮座地】山口県下関市豊北町大字矢玉1
                   旧長門国 豊浦郡
【御祭神】神功皇后 仲哀天皇 應神天皇
【例祭】 11月7日 例大祭 
【旧社格等】村社
【御由緒】
鎮座地矢玉浦の氏神は、もと神田上一ノ宮住吉神社であった。神田上が萩領であったのに対し、矢玉浦は長府領であり、制度上も不便が多かった。さらに矢玉浦から一ノ宮までは、道程が一里も隔っており交通上も不便でもあった。矢玉浦は、江戸時代の元禄期(1688~)ころから人口が増加し、海運業が盛んとなった。明和・安永期(1764~)ごろには、大阪・兵庫の船舶がしきりに往来して盛況を呈してきた。そこで、文政二年(1819)、長府の二ノ宮忌宮神社より分霊を勧請し、当地区の氏神とした(旧村社)。
(山口縣神社誌より)


⑤ 北浦海岸の神社(
参考)、応神天皇、神功皇后の他、海人族の神を祀っている。


⑥ 神功皇后、卑弥呼の伝説(参考)


⑦ 応神天皇の下関での誕生伝説(参考)


⑧ 神功皇后の母方のルーツは武内宿禰(参考)


⑨ 穴門国は元々、武内宿禰が作った国(参考)


10 柿本人麻呂を祀る神社も山口県が一番多い(参考)


11 八幡信仰も盛んであった(参考)