内子の街並みでは、7月の2日~3日に公演される、阿木燿子プロデュース
日本の伝統芸能、歌舞伎・文楽の代表作をフラメンコで表現
「曽根崎心中」という日本の愛の物語を、フラメンコで表現するという画期的な試み――日本の文化とフラメンコを融合――
が今回公演される「FLAMENCO 曽根崎心中」だそうです。
幟が賑やかです。今年は内子座や楽屋及び周辺の整備も完了して色々公演が予定されています。町並み周辺だけでなく、内子町全体の活性化に繋がればいいのですが・・・。
話はかわりますが、又私の稲作りに関する話です。
一昨年の米(古米)がまだたくさん残っていました。毎年、
「余る、残る・・・どうするの。売らんの?」
と親爺に言っていましたが、
「余って余ってどうにもならんなっても、捨ててでも売らん」
と言っていた親爺です。昨年の暮れには、
「俺が死んだら、お前等は米よう作らんだろう。古米でも我慢したら来年も再来年も十分食べられるけん」
と言っていましたが、
子供等も就職や結婚し外食が多いし、いくら子供に食べさせても、兄や叔父叔母にお裾分けしても、食べきれない量であります。
で、親爺の想いには悪いが、色々聞いて古米でも買い取ってもらえるというので処分することにしました。
古米ですから、いくら籾で置いていて美味しいといっても、エコや環境に優しくと言っても、美食で贅沢な飽食時代に慣れてしまったのでしょう、古米を主食としては食べてもらえない時代・・・結局は米の粉となって菓子の原料になってしまうようです。
精米所で白米に擦ってみると色艶とも綺麗で、食べてみても十分美味しいのですが、時代は時代ですよね 昔は十分食べていたのですが、古米は古米、人気はありません
残った古米は30kg袋入りにして10袋を買い取ってもらいました。
新米でさえ採算がとれない金額ですが、古米になると
「全く何をしているのやら解らない」
程の金額になってしまいます。
米擦り賃を差し引かれて手元に残るのは30kgが3千円まで。それでも、これから支払わねばならない苗代の1部にはなりそうです。
「もう半年早ければ、1袋千円~2千円以上は違っていたのに」
と言われましたが、親爺が元気な間は
「不作で米ができん時の為」
と、決して処分はしたがりませんでした。
まだまだ、新米も余るようですので、7月中までに早めの処分を考えていこうと思います。
今後の肥料代や燃料代や機械代に充てないとホント何をしているか解らない農業なのです。