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シモデ先生のまあじゃんうんちく version2

題名の通り、マージャンに関するうんちく話を、自分なりの観点で紹介しています。最近はあまり書いていませんが(笑)。


マージャン強くなりたい、という人にはあまり役に立たない話ばかりかも(笑)。

あちこち、大会や観戦や打ち上げとかに顔を出すうちに、

いろんな選手と知り合いになりました。

 

 

そんな中、ある研究会に誘っていただきました。

その名も「やまぐち組」。

本当は「山口組」って名前なのですが、

おっかないので(笑)、あえてひらがな表記にしました。あしからず。

 

主催は、最高位戦に入会したばかりだった、山口まやさん。

といっても、「まやさんが教える」のではなく、

「まやさんが教えてもらう」という主旨の研究会でした。

 

主に参加していた選手は、

最高位戦の水巻渉さん、村上淳さん、

棋士会(当時)の鈴木たろうさん、

麻将連合の小林剛さん、

101(当時)の佐々木秀樹さん、

この人たちが、先生のような役割でした。

 

生徒役(?)は、山口まやさんだけでなく、

当時の新人や若手選手です。

もちろん、私も生徒役。

今も最高位戦で活躍している選手の中だと、

新井啓文さん、石橋伸洋さん、設楽遥斗さん、

このあたりがレギュラー、もしくは準レギュラーだったかな。

 

準レギュラーや飛び入り参加も、けっこういましたね。

忍田幸夫さん、原浩明さんのような、当時のトッププロ候補勢、

当時のプロ連盟の新進気鋭だった、多井隆晴さんも、

時々来ていたんですよね。

 

当時の顔ぶれを改めて見ると、

トップリーグまで昇りつめたり、

タイトル獲得したり、

のちに活躍するようになった選手が多いですね~。

 

 

 

さて、研究会の内容なのですが。

「東1局0本場だけ」を1局打ち、

それを採譜して、第1打から検討する、

という形式でした。

 

目的は、

「ツキとか流れとかを言い訳にせず、

フラットな場面における、正しい手順を追及する」

ということです。

 

1局の検討だけで、30分くらい議論する事も珍しくありませんでした。

ひどい時になると、打ち上げの席にまで持ち込む事も(笑)。

 

それはさておいても、

同じ局、手牌1つでも、いろんな考えが聞けて、

勉強になったし、面白かったですね~。

 

 

当時の研究会のイメージは、

「強い人が主催して、その人の考えを聞くだけ」

「おそれ多くて、疑問があっても質問できない」

という感じ。

 

しかし「やまぐち組」では、

「自分が疑問に思った事は、どんな事でも言いなさい」

というスタンス。

新人や若手選手が積極的に意見を言えるような雰囲気、環境を、

研究会の参加者全員で作り出していたように思います。

 

 

私自身、「やまぐち組」に参加させてもらった事は、

それ以降の競技人生に大きく影響しましたね。

 

参加していなかったら、

あんな事をやったり、

こんな事になったり、

というような事にはならなかったと思います。

 

「あんな事」「こんな事」については、

そのうちブログで書きますね。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

やまぐち組は、結局3~4年くらい開催されたのかな。

その後、空白期間を経て、

若手や中堅選手による研究会が、

あちこちで開催されるようになりました。

 

そして現在は、

麻雀を研究する環境がかなり整ったように感じます。

まだまだ未開発の戦術もあると思いますし、

対人ゲームならではの「流行の戦術」が生まれたり、

その対策をしたり、というのも、

現在の環境ならでは、だと思います。

 

ただ、それよりも、

研究会で研鑽する事によって生まれる、

「競技者同士のつながり」というのが、

私は好きだったりするのです。

 

競技者同士のつながりの場が、

次世代以降にも引き継がれると、

しもでオジサンは嬉しく思います(笑)。

 

 

ではまた~。

 

時は、西暦2000年くらい。

 

関東に引っ越してから、悪戦苦闘続きだった、しもで青年。

 

名古屋在住だった頃にはほとんど出来なかった、

選手同士の交流の機会が、もの凄く増えました。

 

所属している団体の選手はもちろんですが、

いろんなタイトル戦に参加しては、

他の団体の選手との知り合いを増やしていきました。

 

その当時は、成績は振るわなかったにもかかわらず、

「試験問題が難しい、『あの』麻将連合に合格した選手」

という感じで、相手側がリスペクトしてくれたのでしょうね。

 

そして、今思えば、

私自身も、自分のマージャンの実力を棚に上げて、

試験の成績だけで自信を持ってしまって、

相手を過小評価する言動があったような気がします。

 

幸い、私が交流した方々は、懐の深い方ばかりだったので、

そういう意味でも幸運でしたね。

 

 

 

いろんな対局に参加したり、

タイトル戦やリーグ戦を観戦したり、

図々しくも(笑)、団体問わず打ち上げに参加したり。

 

麻雀の実力はなかなか上昇しませんでしたが、

知り合いの選手はどんどん増えていきました。

 

 

 

2000年代の頃は、ホントにいろんな打ち上げについていったものです。

「打ち上げといえば、しもで」

と呼ばれたのも、その頃ですね(笑)。

 

対局会場では聞きづらい事でも、

酒の力と、打ち上げの雰囲気の力を借りれば、

いろんな話が聞けるものです。

 

あと、トッププロも気さくな方が多いんですよ。

「トッププロと飲むのは恐れ多い」

とか思っている人は、もったいないと思うのです。

トッププロ側も、若い選手といろいろ話をしたり、

聞いたりしたいものなのです。

 

初めてタイトル戦の決勝戦に残った時も、

打ち上げにたくさん参加したおかげで、

過度の緊張がなかったと思いますし。

 

いつからか、

「トッププロと若手」

「自分の団体と他の団体」

「競技選手と愛好家」

の架け橋みたいな存在になれれば、

と思うようになりましたね。

 

最近は、歳のせいもあって、

体力にも気を使わなくてはいけなくなってきたので、

打ち上げのペースは控えめになりました。

だからこそ、若いうちにいろんな打ち上げに参加しておいて良かったなぁ、

と、改めて思う次第です。

 

 

 

今日の話は、ひとまずここまで。

 

私の人つきあいは、「浅く広く」です。

麻雀を通じて、いろんな人と交流したいと思っています。

 

ちなみに昨日も飲んできました(笑)。

夕方まで仕事して、

研究会仲間がゲストだった麻雀店に遊びに行って、

その流れで打ち上げまでお付き合い。

 

タイトル獲得経験ありのAリーガー、

他団体の新人選手や中堅選手、

ネット麻雀のトッププレイヤー

など、メンツも幅広いもの。

 

話をしていたら、共通の知人が多くてビックリしましたね~。

麻雀やってると、いろんな人とつながるものなんだなぁ、

と、改めて驚きました。

これだから、打ち上げはやめられないなぁ(笑)。

 

こういう楽しい時間のために、麻雀やってるのかもしれませんね(笑)。

 

ではまた~。

名古屋から上京して、しばらく経ったしもで青年。

 

当時の競技マージャンの方はどうだったのでしょうか。

 

 

 

一言で言うと、「悪戦苦闘」でした。

 

実は、名古屋在住時代の2年目の秋、

μカップin仙台で初めて決勝戦に進出したんですよね。

 

しかし、それ以降は散々な結果ばかり。

μカップや他の対局では、出るたび出るたび予選落ち。

 

ランキング戦では、下から5番目前後をウロウロ。

ちなみに当時は、30人くらいが参加しており、

認定プロも出場していました。

 

田舎育ちで独学でやってきた私と比べると、

他の選手との明らかな実力差を感じましたね~。

 

 

 

まぁ、実力差を感じたからには、

何もしないわけにはいきませんよね。

 

しかも、スタート地点がかなり後ろ。

「みんなと同じような事をやっても、一生追いつかない」

と思ったわけです。

 

もちろん、普通の勉強も最低限はしたつもりですけどね。

 

 

 

色んな団体が集まるタイトル戦に参加した際には、

他の団体の所属選手と極力交流するようにしたり。

 

団体問わず、対局後の打ち上げに積極的に参加したり。

 

そういった繋がりのおかげで、いろんな研究会に声をかけてもらったり。

 

あ、自分の団体の活動とか交流もそれなりにやってましたよ、多分(笑)。

 

 

当時の私はまだ20代。

今は負けてばかりでも、

「一日でも早く追いつかなくては」

とは、思っていました。

 

 

とはいうものの、今思えば、

まだまだ努力や工夫が足りなかったと思います。

やはり、元来の自分に対する甘さがあったのでしょうね。

若手選手の皆さんは、私のようにならないでくださいね(笑)。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

今回の記事でもチラッと触れた、

「他団体選手との交流」、「打ち上げ」、「研究会」。

 

これらについては、

またそのうち話したいですね。

 

ではまた~。

 

オクトパス倶楽部の藤沢店には、結局1年半ほど勤務して、

本厚木店に異動となりました。

 

 

当時の本厚木店は、基本的にフリー営業が12時から24時まで。

フリーのお客さんよりも、貸卓のお客さんの方が多かったですね。

 

それには理由がありまして。

本厚木店のすぐ近くに、スライムという麻雀店がありました。

あ、スライムは今もありますよ。

スライムとの価格破壊合戦の結果、

学生セットがたくさん集まるようになったわけです。

 

 

 

そんな本厚木店でしたが、

ここに来ていたお客さん、学生アルバイトの中には、

今も競技麻雀界で活躍している人が何人かいました。

 

 

新井啓文さん。

当時は、青山学院大学に通っていました。

オクトパス倶楽部に来ていた頃は、ヤンチャだったんですけどね~。

 

その後、最高位戦に入会。

下積みやいろんな経験を経て、最高位を獲得。

今は、マージャン教室の名物講師としても活躍中。

すっかり人気者になりました。

 

今のような「愛されキャラ」になるとは、

当時は想像つきませんでしたね~(笑)。

 

 

内田慶さん。

お客さんで来ていた大学生でしたが、

その後、オクトパス倶楽部でアルバイトするようになりました。

 

私がオクトパス倶楽部を辞めてから1年半後、

別の職場で再会しました。

 

その後、麻将連合に入会。

様々な経験を経て、晴れて認定プロになりました。

現在は、本厚木で健康マージャンサロンを経営しています。

 

彼に関しては、昔も今も愛されるキャラクターでしたね~。

これからも、いろんな人に可愛がられることでしょう。

 

 

他には、意外な人が常連だったらしく。

 

当時の彼は、普段はセットで打つことが多かったので、

正直なところ、印象に残っていなかったんですよね。

 

それから約13年後。

彼と話す機会がありました。

「オクトパスで打ってた時、しもでさんにマナー注意されたんですよ~」

マジかっ。

「捨てた牌を引っ込めようとしたら、『ダメだよ』って言われたんすよ」

そりゃ、言いますわな(笑)。

 

そんな彼も、3年前にプロ協会をデビュー。

そしてすぐに、雀竜位を獲得。

その後もいろんな対局で活躍するなど、

決勝戦における条件戦の戦い方には、定評があります。

 

それにしてもねぇ。

まさか、斎藤俊さんが、オクトパス倶楽部に来てたとはなぁ(笑)。

ちなみに、前述の内田さんと同じ高校の出身。

斎藤さんは4年後輩だそうな。

 

 

まったく、どこで誰と会っているか、わからないものですねぇ。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

そういえば、久々の更新でした。

2週間空いてしまいましたね。

申し訳ありませんでした。

 

次回は、当時の選手としての活動について、話そうと思います。

更新直前に気が変わるかもしれませんが(笑)。

 

ではまた~。

 

オクトパス倶楽部には、いろんな人がいましたね。


私が働き始めた頃の常連だった、明村諭さん。
当時は大学に入りたてで、毎日のように、
いや、毎日打ちに来ていましたね~。

後年、何かの酒の席で、
「オイラが藤沢にいた頃、明村くんは毎日来てて、
月に300半荘くらい打ってたからね~」
と話していたら、当の本人が、
「いや、しもでさん、400ですよ(笑)」
ですって。

まぁ、その後、
茅ヶ崎の麻雀店でアルバイトを始めたそうな。

そのうち、それだけでは飽き足らず、
麻将連合の試験を受けて、合格。

しばらくして、八翔位戦を2連覇。
そして、今や認定プロ。
プロリーグの最高峰でもある「μリーグ」で活躍中。
次世代のエース候補にまでなったわけです。

現在は、関東各地でマージャン教室の講師を務めています。

経歴は私と似ているのに、ずいぶん差がついたなぁ(笑)。
いや、笑いごとではないので、私も頑張ります。はい。



藤沢店で働いて、しばらくした頃、
私よりも少し若い、小太りの新規さんがやってきました。

そのうち、常連になって、
楽しそうにモロひっかけリーチばかりしてましたね~。

ここまでは、よくいる「ちょっとオモロイお客さん」なのですが、
木村プロと忍田プロの麻雀に惚れたようで、
その流れで、麻将連合の大会に毎回のように、
参加するようになりました。

その後、μカップで2回優勝。
全国の麻将連合ファンの間で、
「熱心な強豪選手」として名が知られる存在になりました。

その後、ネット麻雀「天鳳」にもハマり、
サンマ九段になりました。
麻将連合だけでなく、天鳳サンマ勢にも、
「beesono」の名が知れ渡る事になるとはね。
ちなみに、ハンドルネームはローマ字読みで。

本名は、薗辺達哉さん。
薗部でも園辺でもありませんから、気を付けてくださいね。



意外な(?)ところでは、
現在プロ協会に所属している、横田知裕さん。

プロにあまり興味が無さそうにしていたように見えたので、
協会に入ったと聞いた時は、驚きましたね~。

採譜の丁寧さにも定評があり、
協会屈指の採譜職人とも呼ばれているとか。



私に勤務時期とは被っていませんが、
坂本大志さん(最高位戦)は、
オクトパス倶楽部がフリー麻雀デビューの店だったとか。

友添敏之さん(最高位戦)にも聞いたら、
関東在住の頃、オクトパス倶楽部によく行ってたそうな。


年齢制限(30歳以下)があっただけに、
若者のフリーデビューにはピッタリのお店だったのでしょうね。




今回の話は、ひとまずここまで。

競技麻雀の関係者だけでなく、
常連の方々も面白い人、個性的な人がたくさんいましたね~。

麻雀続けていれば、時々ではありますが、
元常連や元スタッフとの久々の再会があったり。

いやはや、麻雀の縁というのは、面白いなぁ、
と改めて感じました。


「まだ紹介されてないっ」
っていう人も何人かいると思います。

たくさんいるので、1回では紹介しきれないのです(笑)。

残りの人は、もう少しお待ちを。


ではまた~。