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シモデ先生のまあじゃんうんちく version2

題名の通り、マージャンに関するうんちく話を、自分なりの観点で紹介しています。最近はあまり書いていませんが(笑)。


マージャン強くなりたい、という人にはあまり役に立たない話ばかりかも(笑)。

飯田正人さんシリーズも第3回。

今回は、飯田さんとの初対戦のお話です。

 

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今回は、2008年のお話です。

 

2006年に創設されたタイトル戦、最高位戦Classic。

第2期までは、基本的に「最高位戦所属の選手限定」のタイトル戦でした。

 

第3期、つまり2008年から、他団体所属の選手も出場できるようになりました。

 

私が初めて「麻雀プロを目指そう」と思って、

最高位戦を受験したのが、1995年の事。

その当時のルールが、まさに最高位戦Classicで採用されているルールだったのです。

そして、当時最高位として君臨していたのが、飯田さんだったのです。

 

 

 

私は、この第3期から初参戦。

運にも恵まれて、プロ予選、本選を勝ち上がり、

準決勝に進出しました。

 

準決勝には、第2期最高位戦Classic、

つまりディフェンディングシードの飯田さんが待ち構えているのです。

 

飯田さんとは、公式戦初対戦。

麻雀プロを目指した頃から、念願13年。

ついにこの日がやってきたのです。

 

 

当時の準決勝は、2日間で行われました。

初日は半荘4回、2日目は半荘4~5回。

最大半荘9回打つ事になります。

システムは、半荘2回を同一メンツで戦い、

それを3セット行います。

そこで下位4人が敗退となり、残り12人で半荘2回。

さらに9~12位が敗退となり、残り8人で半荘1回。

 

 

準決勝の初日、

ついに、飯田さんと公式戦初対戦。

麻雀プロを目指した頃から、念願13年。

この時がやってきたのです。

 

ちなみに他の同卓者は、

鈴木たろうさん(協会)、山田田さん(RMU)でした。

準決勝だから当然とはいえ、

手ごわい相手ばかりですね。

 

 

その結果は、なんと私の2連勝。

正直、バカヅキというのもありましたが、

内容的にも、悪くなかったと思います。

 

 

その年に、たまたま私が優勝したというのもあったでしょうが、

準決勝での戦いぶりを、飯田さんもよく覚えてくれていたようで、

「しもいでくん、こないだ強かったねぇ」

と、話してくれたり。

 

その後、何度かお会いするたび、

「おぉ、しもいでくん、久しぶりだねぇ」

と、挨拶してくれたり。

 

問題は、最後まで「しもでくん」と呼んでくれなかった事ですかね(笑)。

 

でも、そんな事はいいんです。
憧れの人に、自分の存在を知って貰えた訳ですからね。

 

 

 

私よりも飯田さんとの付き合いが深い人もいるでしょうし、

私よりもマージャンが強い人はたくさんいます。

それにもかかわらず、大した事ない麻雀しか打てない私が、

飯田さんが勝った次の年に優勝できたのは、

何か不思議な縁を感じてしまいます。

 

出来ることなら、もう一度、この感動を味わいたい。

そう思いながら、今日もマージャンを打ち続けています。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

飯田さんの話、もう少し続きます。

ではまた~。

今回も引き続き、飯田正人さんのお話です。

 

今回は、2004年頃のお話。

挨拶を交わす程度には面識はあったのですが、

当時は、まともに会話をした事がほとんどありませんでした。

そんな距離感の付き合いだった頃のお話です。

 

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「無双位戦」という、タイトル戦がありまして。
μの三原孝博さんが決勝に残ったので、

観戦していた私が採譜係を買ってでたのです。

 

ちなみに無双位戦とは、

当時の麻雀専門誌「月刊プロ麻雀」が主催していた、

オールカマーのタイトル戦。

大きいタイトル戦ではありませんでしたが、

本戦大会には、各団体のタイトルホルダーが、

シード選手として出場する、という、

ハイレベルなものでした。



そして、優勝したのが、飯田さん。

ちなみに前回に引き続き、2連覇です。
いやはや、何回タイトル取れば気が済むのかと思ったものです(笑)。



大会終了後は、会場のすぐ近くの居酒屋で打ち上げ。
打ち上げの幹事を任されたのが、当時まだ若手(?)だった私でした。

ところが、当時の会場は日本橋。
場所柄、価格もかなり高かっただけでなく、

予想以上に早々と帰る人が多かったから、

食べ物も飲み物も余ったわけです。

そして、出された伝票を見ると、血の気が失せる値段。
会場内は凍りつき、私もオタオタしてしまいました。


その様子を一部始終見ていたのでしょう。

飯田さんがたまりかねたのか、
「今日、優勝したからさ~、これで足しにしてよ」
と、1万円札5枚を片手に、優しい口調で言ってくれたのです。

若かりし私は、ノータイムで、

「ありがとうございます!」

と、感謝の言葉を述べて、受け取りました。
とにかく「ホッとした」という気持ちがいっぱいでしたね。


もう、何と言うか、
「この人には、麻雀どころか、人としても一生追いつけないなぁ」
と、感じました。

しかし、この世界に身を置いた以上、

そういう人たちを目指して精進しなければいけない、

と改めて思ったわけです。

 

 



今回の話は、ひとまずここまで。

 

「強くて優しい」

という言葉がピッタリなエピソードですね。

 

打ち手としても、人としても尊敬される理由を、

垣間見たような気がしました。

 

 

あれから13年。

飯田さんの域は、まだまだ果てしなく遠く感じます。

一歩一歩近づけるよう、日々精進ですね~。

 

次回も引き続き、飯田さんのお話です。

ではまた~。

今年も、最高位戦Classicが開幕しました。

今期で第12期となります。

 

この最高位戦Classic。

第8期より、永世最高位でもある、故・飯田正人さんの名前を冠し、

「飯田正人杯・最高位戦Clasic」

という名称となりました。

 

今回から数回は、

しもで先生の話は、少しお休みして、

飯田正人さんのお話をしようかと思います。

 

 

飯田さんに深く関わってきた人、

長く付き合ってきた人は、

私よりもたくさんいるはずです。

ましてや、私は所属団体も違いますから。

 

それでも、飯田さんの事を、

改めて書きたいと思ったのです。

 

 

 

昔、このブログでも書いた事はありますので、

昔の記事の修正や加筆という形になると思います。

ご了承ください。

 

 

 

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私が「麻雀プロ」という存在を知ったのが高校生の頃。

近代麻雀各誌に、最高位戦のリーグ戦のレポートが載せられていたのです。

 

当時の最高位が、飯田正人さんでした。

ちょうど連覇していた頃だったと思います。

 

「プロってどれだけ凄いんだろう」

と、奥能登の田舎の少年は、まだ見ぬプロの存在に憧れを持ったものです。



 

高校を卒業して、名古屋の専門学校に入学した私。

当然(笑)、勉強はそこそこに、フリー麻雀店に通うようになるわけです。

 

そこのフリー麻雀店で目にしたのが、「月刊プロ麻雀」という、麻雀専門誌でした。

待ち時間やゲームが終わってからは、月刊プロ麻雀を読むのが日課になりました。

 

そこで印象に残ったのは「ビッグ4」という言葉。

当時のトッププロ、安藤満さん、飯田正人さん、井出洋介さん、金子正輝さんの四人のことです。

一昔前からの競技麻雀ファンの方はご存知ですよね。




その後、最高位戦を受験して落ちたり、新しい団体(当時・麻雀連合)に入ったり。

いろいろあって、月日が流れていきました。

当然、いろんな人との交流が増えていきました。

 

 

 

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時は流れて、2003年の夏。

 

池袋の麻雀店の勤務が終わった後、

たまたま遊びにきてくれた、安藤満さんとの酒の席に同席させてもらいました。

その時の酒の席の話は、以前ブログでも記事にしましたね。

 

色んな話をした後、

「麻雀プロとは」という話題になりました。

 

「飯田さんについて、どう思われますか?」

という私の問いに対する、安藤さんの回答が印象的でした。

 

「飯田くん? 彼はプロじゃないからね」

 

当時の私の頭の中は「?」マークばかりでした。

 

あれだけタイトルを獲った飯田さんに対して「プロじゃない」って言いのけるわけですよ。

ただただ驚くばかりでした。

 



 

その酒の席からしばらくして、

安藤さんが言わんとしていた事を、私なりに解釈してみました。

 

安藤さんが考えていた「麻雀プロ」としての意識は、

「麻雀プロは勝つだけでなく、魅せる事も大事」

「ファンを増やす事を意識しなくてはいけない」

という事だったのでしょう。

 

一方、飯田さんの麻雀は、

「勝つ事に徹する」

「ファンの目を意識しない麻雀」

に見えたのでしょう。

 

実際、外れていなかったと思います。

ただ、だからこそ、

飯田さんはあれだけのタイトルを獲得できたのだと思います。

もっとも、安藤さんの言葉もすごく説得力を感じたので、

「確かになぁ」と思ったものです。



 

しかし、さらにしばらく経って、改めて考え直してみました。

 

安藤さんは「エンターテイメント性」を求めていたように思います。

もちろん、麻雀の実力がある事が前提なのは言うまでもありませんが。

 

一方、飯田さんの麻雀は、決して「エンターテイナー」ではありません。

例えて言うなら、

「アスリート」

もしくは

「格闘家」

だったのだと思います。

勝つ事に対してストイックな姿勢。

これもまた、競技者として大事な要素です。

 

飯田さんのスタイルも、「これはこれで一つのプロの姿なんだろうな」と思うようになりました。

 

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

今回は、学生時代から、選手になって数年くらいまでのお話です。

 

この時点では、飯田さんとお話した事は、ほとんどありませんでした。

いろんな人から、飯田さんにまつわる話を聞いて、

飯田さんの人物像を想像したものです。

 

誰に聞いても、飯田さんを悪く言う人がいないので、

いつかは会ってお話を聞いてみたいものだ、

と思ったものです。

 

飯田さんのお話、あと何回か続きます。

ではまた~。

今回も、下北沢以外のお仕事の話。

 

2013年の春、

新橋に「Palette(パレット)」という、

ノーレートフリーのマージャン店がオープンしました。

 

既に、マージャン教室の講師としても、幅広く活動していた、

日本プロ麻雀協会の大崎初音プロのプロデュースということで、

開店前から、話題になっていました。

 

大崎さんとのいきさつは、開店当時にもブログで書いています。

せんせいのお仕事・2(&それにまつわる話)

 

 

スタッフの顔ぶれは、

プロ協会所属の選手が中心でしたが、

当初はいろんな団体の選手がお手伝いしていました。

ちなみに麻将連合からは私だけ。

 

 

その後、僅か4ヶ月で、

日本プロ麻雀協会道場として運営する事になり、

プロ協会以外の選手は、ここでお役御免となりました。

短い期間だったとはいえ、働いていて楽しかったです。

 

あと、黄河のんさん(プロ協会)の結婚式の時に、

当時のお客さんにたくさん再会できたのは、嬉しかったですね~。

 

 

 

 

数回に渡って、

教室やノーレート関係のお仕事について書いてきました。

2002年の福岡「雀ケンポン」から始まり、

2003年からは下北沢「シャングリラ」→「まーちゃお下北沢」、

それ以外にも、いろいろやっていたんですね。

改めてビックリしました(笑)。

 

「マージャンって楽しい」

「マージャンやってみたい」

っていう人がどんどん増えて欲しいなぁ、と願っています。

こう言うと、綺麗事に聞こえるかもしれませんが、

マージャンやってくれる人が増えないと、

マージャンしか出来ない私が生きていけないですからね(笑)。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

次回からは、また新しいお話をする予定です。

ではまた~。

今回も、下北沢以外のお仕事のお話です。

 

2010~2011年あたりですかね。

 

埼玉県の蒲生というところに、

「なすびぃ」という、フリー麻雀店がありました。

あ、今でもあるのかな?

ちなみに当時のお店の責任者は、木村和幸プロ。

藤沢のオクトパス倶楽部でも、お世話になりました。

 

そこのビルの上のフロアに、

マージャン教室や健康マージャンの営業をする事になりました。

お店の名前は「なす畑」。

 

なす畑の責任者を任されたのが、

当時、麻将連合の女流ツアー選手だった、草場とも子さん。

草場さんについては、またいずれ記事にしようと思います。

 

ちなみに、なす畑には、

私以外にも、須藤浩プロ、むく大樹プロ(当時・ツアー選手)も、

来ていた時期がありました。

 

結局、1年ほどで、なす畑の営業を縮小した為、

私はそこでお役御免となりました。

 

ちなみに、当時来てくれていた生徒さんやお客さんは、

今も、近所のマージャン店でサークル活動をしていて、

マージャンを楽しんでいらっしゃるそうです。

 

 

 

2012~2013年あたりに、

横浜のマージャンサークルの主宰者と、

意気投合して始めたのが、

「下出アカデミー」という、

競技マージャンに特化した教室。

 

当時、通ってくれた生徒さんが、

これをきっかけに、横浜の競技大会に毎月参加するようになったり、

「名将戦」という、シビアな競技ルールの年間リーグ戦で優勝したり、

「最高位戦クラシックプロアマリーグ」で優勝したり。

 

下出アカデミーは、1年くらいで終わってしまいましたが、

今も何人かの方々が、

競技マージャンの大会に熱心に参加したり、

地元の競技会の運営をやっていたり、

それぞれの形で、競技マージャンに携わっています。

そういうのって、講師冥利に尽きると思いますね~。

 

 

 

今回の話は、ひとまずここまで。

 

下北沢以外のお仕事のお話、

2回くらいでまとまるかな~、と思っていたのですが、

まだまだあります(笑)。

 

ではまた~。