今回は、一緒に受験したzeRoさんにまつわるお話。
本当は、前回のあとがきで書こうとしたのですが、
思いのほか長くなってしまったので(笑)。
これまた、1997年の春の事です。
私が、合格(?)通知を手にして、戸惑っていた一方、
zeRoさんは、不合格通知を受け取り、悔しがっていました。
zeRoさん自身も、ブログで書いていますが、
麻雀の実力に関しては、私なんかよりもずっと上でした。
というよりも、実力もさることながら、
麻雀で勝つ事に対する姿勢は、私なんかは足元に及びません。
zeRoさんは、いい意味で「バカ」になれる。
私は、悪い意味で「バカ」になりきれない。
私はいつも、どこかで逃げ道を作ってしまうんですよね。
そうしないと、精神的にまいっちゃうので。
当時は、zeRoさんの強さの理由に気づかなかった。
いや、気づきたくなかったのかもしれません。
私は20代前半で、zeRoさんはまだ10代でしたから、
「こんな若いヤツに負けたくない」
という気持ちがあったんでしょうね。
あれから月日が流れました。
もうすぐ20年近く経ちます。
その後のzeRoさんは、
最高位戦に数年在籍したり、
麻雀店のオーナーになったり、
他にもいろいろあったようですが。
その後、長いブランクを経て、
ネット麻雀「天鳳」で、十段まで昇りつめました。
最高峰の「天鳳位」まで、あと一歩です。
競技団体のリーグ戦で例えれば、
今まさに「○○位決定戦」を戦っているようなものです。
ここまで来たら、天鳳位になってほしいなぁ。
自分の身近にいた時期があるヤツが、活躍するのって、
やっぱり嬉しいものなんですよ。
当時の私は「認めたくない」と思っていたけど、
今なら、大きな声で言えます。
「zeRoくんは強い」
今回の話は、ひとまずここまで。
今回は、しもで先生シリーズの「外伝」のような感じですね。
時は流れて、今年の2月。
zeROさん主催のオフ会を名古屋でやるとかで、
プロ協会の二見大輔さんにも誘われたんですね。
(二見さんは「じみいっZ」の名前で天鳳やっています。ちなみに九段)
リアルで会ったのは、14年振りだったのかな?
なんだか、感慨深かったですね~。
そして、オフ会を盛り上げようとしていた姿を見て、
なんだかジーンと来ましたね。
大人になったなぁ。
ちなみに、ゆいちゃんのパパとも15年以上ぶりに会いました。
見た目も、言動も、打ってる姿も、ほとんど変わらなかったですね~。
「永遠のスポーツ少年」みたいな感じでした。
それにしても、「サークル21」出身の天鳳民の多いこと。
我々、どんだけ麻雀好きなんでしょうね(笑)。
次回は、再び本編に戻ります。
ではまた~。
1997年の3月あたりでしょうか。
「μ(仮称)」の試験が終わって、しばらく経った頃。
「麻雀連合事務局」というところから、合否の通知が届きました。
この団体、「麻雀連合」っていう名前になったんだ。
まぁ、多分不合格だろうから、形だけでもドキドキしておくか。
どれどれ。
「あなたは、麻雀連合・トーナメントツアー選手(B)になりました。
4月○日に、東京都○○でミーティングを行いますので、参加してください」
トーナメントツアー選手?
これは合格なのか?
不合格なのか?
この通知を見て、喜んでいいのか、残念がればいいのか。
とりあえず、職場のオーナーでもある、
橘高正彦さん(元・101競技連盟)に聞いてみよう。
橘高さんに届いた通知は、
「トーナメントツアー選手(A)」
だったそうな。
「しもでくん、肩書きとかはよくわからないけど。これはきっと、合格という事だよ」
「だって、ミーティングに来るように書いてあったんでしょ?」
そうなのか。
これって、合格通知だったのか。
となれば、
「やった~!」
って、喜ぶ場面ですよね。
本来なら。
「えっ、オレなんかでいいの?」
これが、真っ先に感じた、偽りない心境でした。
本来「プロ」というのは、簡単になれるものじゃないんですよ。
確かに、当日の試験の成績は、たまたま少しだけ良かったかもしれません。
しかし、麻雀の実力が、職場で勝ったり負けたりする程度の私が、
いきなり「プロ」だなんて、とんでもないです。
しかしその後、ある事実を知る事により、
驚きと不安が、さらに倍増するのです。
今回の話は、ひとまずここまで。
しもで先生シリーズを書き始めてから、もうすぐ半年。
ようやく競技選手としてデビューするところまで来ました~。
元々、1年くらいかけて書くつもりだったとはいえ、
1年で書ききれるか、不安です(笑)。
まぁ、気長に読んでいただければと思います。
ではまた~。
「μ(仮称)」の試験が終わって、しばらく経った頃。
「麻雀連合事務局」というところから、合否の通知が届きました。
この団体、「麻雀連合」っていう名前になったんだ。
まぁ、多分不合格だろうから、形だけでもドキドキしておくか。
どれどれ。
「あなたは、麻雀連合・トーナメントツアー選手(B)になりました。
4月○日に、東京都○○でミーティングを行いますので、参加してください」
トーナメントツアー選手?
これは合格なのか?
不合格なのか?
この通知を見て、喜んでいいのか、残念がればいいのか。
とりあえず、職場のオーナーでもある、
橘高正彦さん(元・101競技連盟)に聞いてみよう。
橘高さんに届いた通知は、
「トーナメントツアー選手(A)」
だったそうな。
「しもでくん、肩書きとかはよくわからないけど。これはきっと、合格という事だよ」
「だって、ミーティングに来るように書いてあったんでしょ?」
そうなのか。
これって、合格通知だったのか。
となれば、
「やった~!」
って、喜ぶ場面ですよね。
本来なら。
「えっ、オレなんかでいいの?」
これが、真っ先に感じた、偽りない心境でした。
本来「プロ」というのは、簡単になれるものじゃないんですよ。
確かに、当日の試験の成績は、たまたま少しだけ良かったかもしれません。
しかし、麻雀の実力が、職場で勝ったり負けたりする程度の私が、
いきなり「プロ」だなんて、とんでもないです。
しかしその後、ある事実を知る事により、
驚きと不安が、さらに倍増するのです。
今回の話は、ひとまずここまで。
しもで先生シリーズを書き始めてから、もうすぐ半年。
ようやく競技選手としてデビューするところまで来ました~。
元々、1年くらいかけて書くつもりだったとはいえ、
1年で書ききれるか、不安です(笑)。
まぁ、気長に読んでいただければと思います。
ではまた~。
1997年の2月。
競技麻雀団体「μ(仮称)」の試験を受験するべく、
東京にやってきた、しもで青年。
名古屋勢からは、私以外に、
橘高正彦さん(元・101競技連盟)、
私の職場の同僚、zeRoさん、
zeRoさんの幼馴染で、これまた同僚だったGさん、
計4人が受験しました。
当日の朝は、会場近くの喫茶店で最終確認。
「平成版・麻雀新報知ルール」に目を通しました。
とはいうものの、どんな問題が出題されるか。
そもそも、どんな試験があるのか。
多少は勉強してきたものの、果たしてどれだけ役立つのか。
まぁ、不安でしたわ。
試験会場に入ると、麻雀専門誌で見たことのあるプロが、
右にも左にもいるではありませんか。
とりあえず、面識がない人ばかりだったので、
橘高さんの後ろに付いて、いろんな人に会釈していたような。
そんな中、久しぶりに会った人も何人か。
2年前に最高位戦を受験した人達です。
こういう再会って、嬉しいものですよね。
なんだか、ホッとしました。
そうこうしているうちに、試験の開始時間がやってきました。
まずは筆記試験。
ある程度は想定内だったのですが、驚いたのが1つありました。
後に麻将連合の名物にもなる、
「早解き問題」です。
現在の早解き問題は、
「点数計算30問」「多面待ち30問」「テンパイチャンス20問」を、
それぞれ制限時間10分で解く、というもの。
その時の早解き問題は、
「点数計算10問・多面待ち10問・テンパイチャンス8問」の、
合計28問を15分で解く。
現在に比べれば、難しくはないと思いますが、
当時は、こんな形式の問題なんて無かったですからね~。
その後、会場を変えて、面接と実戦対局。
当時は、その日の麻雀の結果で合否を決める団体が多かったのですが、
今回の試験では、対局は半荘1回だけ。
しかも、結果は問わず、
対局内容を見たり、作法が出来ているか、
というような確認のための、実戦対局でした。
面接は、4~5人まとめて行う形式。
何を話したか、緊張していて、覚えていませんね。
昔も今も、人前で話すのは苦手なのです。
そして、試験は終了。
結果は、後日郵送されるとの事。
果たして、しもで青年の運命やいかに!?
ご存知だとは思いますが(笑)。
今回の話は、ひとまずここまで。
試験について、もう少し書こうかと。
麻雀の筆記試験は、
記述問題が30分、早解き問題が15分。
記述問題は平均点くらいで、
早解き問題は、実は全問正解でした。
早解き問題を解いた感想は、
「プロの人なら、半分くらいは満点取るんだろうな~」
でした。
これは、嫌味とかではなく、
「麻雀プロ」は、凄い人たちがなれるもの、
という憧れから来る「幻想」があったからなのだと思います。
当時は、インターネットがまだ普及していなくて、
得られる情報が少なかったんですよね。
今ならば、
「麻雀プロには、どの程度の知識や腕前ならなれるのか」
「麻雀プロとは、どんな世界なのか」
「この団体は、どんな活動をしているのか」
という情報なんて、すぐ手に入ります。
そのうえで、麻将連合を選んでくれる人、増えてほしいなぁ。
明日は育成会の講師やりますので、話を聞きたい人は是非♪
五反田本部道場で19~22時です。
詳細は、麻将連合HPかツイッターで。
最後は宣伝になりましたね(笑)。
ではまた~。
競技麻雀団体「μ(仮称)」の試験を受験するべく、
東京にやってきた、しもで青年。
名古屋勢からは、私以外に、
橘高正彦さん(元・101競技連盟)、
私の職場の同僚、zeRoさん、
zeRoさんの幼馴染で、これまた同僚だったGさん、
計4人が受験しました。
当日の朝は、会場近くの喫茶店で最終確認。
「平成版・麻雀新報知ルール」に目を通しました。
とはいうものの、どんな問題が出題されるか。
そもそも、どんな試験があるのか。
多少は勉強してきたものの、果たしてどれだけ役立つのか。
まぁ、不安でしたわ。
試験会場に入ると、麻雀専門誌で見たことのあるプロが、
右にも左にもいるではありませんか。
とりあえず、面識がない人ばかりだったので、
橘高さんの後ろに付いて、いろんな人に会釈していたような。
そんな中、久しぶりに会った人も何人か。
2年前に最高位戦を受験した人達です。
こういう再会って、嬉しいものですよね。
なんだか、ホッとしました。
そうこうしているうちに、試験の開始時間がやってきました。
まずは筆記試験。
ある程度は想定内だったのですが、驚いたのが1つありました。
後に麻将連合の名物にもなる、
「早解き問題」です。
現在の早解き問題は、
「点数計算30問」「多面待ち30問」「テンパイチャンス20問」を、
それぞれ制限時間10分で解く、というもの。
その時の早解き問題は、
「点数計算10問・多面待ち10問・テンパイチャンス8問」の、
合計28問を15分で解く。
現在に比べれば、難しくはないと思いますが、
当時は、こんな形式の問題なんて無かったですからね~。
その後、会場を変えて、面接と実戦対局。
当時は、その日の麻雀の結果で合否を決める団体が多かったのですが、
今回の試験では、対局は半荘1回だけ。
しかも、結果は問わず、
対局内容を見たり、作法が出来ているか、
というような確認のための、実戦対局でした。
面接は、4~5人まとめて行う形式。
何を話したか、緊張していて、覚えていませんね。
昔も今も、人前で話すのは苦手なのです。
そして、試験は終了。
結果は、後日郵送されるとの事。
果たして、しもで青年の運命やいかに!?
ご存知だとは思いますが(笑)。
今回の話は、ひとまずここまで。
試験について、もう少し書こうかと。
麻雀の筆記試験は、
記述問題が30分、早解き問題が15分。
記述問題は平均点くらいで、
早解き問題は、実は全問正解でした。
早解き問題を解いた感想は、
「プロの人なら、半分くらいは満点取るんだろうな~」
でした。
これは、嫌味とかではなく、
「麻雀プロ」は、凄い人たちがなれるもの、
という憧れから来る「幻想」があったからなのだと思います。
当時は、インターネットがまだ普及していなくて、
得られる情報が少なかったんですよね。
今ならば、
「麻雀プロには、どの程度の知識や腕前ならなれるのか」
「麻雀プロとは、どんな世界なのか」
「この団体は、どんな活動をしているのか」
という情報なんて、すぐ手に入ります。
そのうえで、麻将連合を選んでくれる人、増えてほしいなぁ。
明日は育成会の講師やりますので、話を聞きたい人は是非♪
五反田本部道場で19~22時です。
詳細は、麻将連合HPかツイッターで。
最後は宣伝になりましたね(笑)。
ではまた~。
先日、クラシックルール練習会を開催いたしました。
ご参加された皆様、ありがとうございました。
さて、今月は、
「第11期・飯田正人杯最高位戦Classic」の、
4組と5組の予選が行われます。
「このルールの練習をしたい」
「やった事ないけど、大丈夫かしら」
というような方々もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで、予選直前緊急企画として、
第2回「クラシックルール練習会」を開催いたします。
以下、クラシックルールの練習会の詳細です。
日時・6月16日(木)、18時~22時半くらい
会場・まーちゃお下北沢
会費・1000円(1半荘のみ、見学のみは500円)
予選を控えている、競技団体所属選手はもちろん、
クラシックルール未経験の方も大歓迎です。
むしろ、慣れていない人が体験や練習するための場ですから。
個人的には、対局直後なので、正直キツイのですが、
この日くらいしか都合の良い日がなかったので…。
皆様のご参加、お待ちしております。
ご参加された皆様、ありがとうございました。
さて、今月は、
「第11期・飯田正人杯最高位戦Classic」の、
4組と5組の予選が行われます。
「このルールの練習をしたい」
「やった事ないけど、大丈夫かしら」
というような方々もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで、予選直前緊急企画として、
第2回「クラシックルール練習会」を開催いたします。
以下、クラシックルールの練習会の詳細です。
日時・6月16日(木)、18時~22時半くらい
会場・まーちゃお下北沢
会費・1000円(1半荘のみ、見学のみは500円)
予選を控えている、競技団体所属選手はもちろん、
クラシックルール未経験の方も大歓迎です。
むしろ、慣れていない人が体験や練習するための場ですから。
個人的には、対局直後なので、正直キツイのですが、
この日くらいしか都合の良い日がなかったので…。
皆様のご参加、お待ちしております。
麻雀名人戦の採譜体験から、数ヶ月経ちました。
1996年の秋だったか冬だったか。
当時働いていた「サークル21」のオーナーが、
橘高正彦さん(当時、101競技連盟所属)に代わるかどうかの頃です。
そんなある日、橘高さんから、
「今度、井出さんが新しくプロ団体を作るんだけど、受けてみない?」
という、受験のお誘いがありました。
「井出さん」とは、当時の「日本麻雀最高位戦」の代表、井出洋介プロの事。
当時の井出プロは、テレビ番組にたくさん出演したり、
「井出名人の○○」みたいなゲームソフトが登場したり、
まさに、麻雀界のスーパースターのような存在でした。
その井出プロが、麻雀プロの理想を追い求めるべく、
最高位戦を退き、新しく団体を設立しようというのです。
麻雀名人戦の後、
「また、競技麻雀のプロを目指してみようかな」
とは思ったものの、
その時は、自分の実力にまだまだ自信がありませんでした。
しかし、
「このタイミングで、こういう話が来たのも、何かの縁かもね」
と思い、受験してみる事にしました。
2年前に最高位戦を受験した時は、自分の意志と決断があってのものでしたが、
この時は、それほど自分の意志があったわけでもなく、
「じゃあ、受けてみようかな」
という程度の意識でした。
まぁ、何はともあれ、再び麻雀のプロを目指す事となった、しもで青年。
そうこうしているうちに、試験の日がやってきたのです。
今回の話は、ひとまずここまで。
新団体設立のきっかけは、
井出洋介プロが「月刊プロ麻雀」という麻雀専門誌上で、
「この指とまれ」を宣言した事です。
1996年の新年号あたりでしょうかね。
停滞している状態だった、麻雀プロ、競技麻雀の世界を、
もっと認知してもらうために、志がある者は私と一緒に立ちあがろうではないか、
という感じの記事だったと思います。
細かいニュアンスとか、間違っているかも。
こういう時に、我らが麻雀博士がいればなぁ。
ちなみに、新団体の仮の名称は「μ(ミュー)」でした。
現在の「通称」としても、使われています。
後の正式名称でもある、「麻雀連合」は、実は後付けだったのです。
(※その後「麻将連合」に改称)
試験当日も、まだ「麻雀連合」という名前すら無かったんじゃないかな~。
オッサンの記憶なので、アテにはなりませんが。
ではまた~。
1996年の秋だったか冬だったか。
当時働いていた「サークル21」のオーナーが、
橘高正彦さん(当時、101競技連盟所属)に代わるかどうかの頃です。
そんなある日、橘高さんから、
「今度、井出さんが新しくプロ団体を作るんだけど、受けてみない?」
という、受験のお誘いがありました。
「井出さん」とは、当時の「日本麻雀最高位戦」の代表、井出洋介プロの事。
当時の井出プロは、テレビ番組にたくさん出演したり、
「井出名人の○○」みたいなゲームソフトが登場したり、
まさに、麻雀界のスーパースターのような存在でした。
その井出プロが、麻雀プロの理想を追い求めるべく、
最高位戦を退き、新しく団体を設立しようというのです。
麻雀名人戦の後、
「また、競技麻雀のプロを目指してみようかな」
とは思ったものの、
その時は、自分の実力にまだまだ自信がありませんでした。
しかし、
「このタイミングで、こういう話が来たのも、何かの縁かもね」
と思い、受験してみる事にしました。
2年前に最高位戦を受験した時は、自分の意志と決断があってのものでしたが、
この時は、それほど自分の意志があったわけでもなく、
「じゃあ、受けてみようかな」
という程度の意識でした。
まぁ、何はともあれ、再び麻雀のプロを目指す事となった、しもで青年。
そうこうしているうちに、試験の日がやってきたのです。
今回の話は、ひとまずここまで。
新団体設立のきっかけは、
井出洋介プロが「月刊プロ麻雀」という麻雀専門誌上で、
「この指とまれ」を宣言した事です。
1996年の新年号あたりでしょうかね。
停滞している状態だった、麻雀プロ、競技麻雀の世界を、
もっと認知してもらうために、志がある者は私と一緒に立ちあがろうではないか、
という感じの記事だったと思います。
細かいニュアンスとか、間違っているかも。
こういう時に、我らが麻雀博士がいればなぁ。
ちなみに、新団体の仮の名称は「μ(ミュー)」でした。
現在の「通称」としても、使われています。
後の正式名称でもある、「麻雀連合」は、実は後付けだったのです。
(※その後「麻将連合」に改称)
試験当日も、まだ「麻雀連合」という名前すら無かったんじゃないかな~。
オッサンの記憶なので、アテにはなりませんが。
ではまた~。