《これまでのお話》

大森亮尚『日本の怨霊』①-本が持っているパワー?

大森亮尚『日本の怨霊』②-見えない力

大森亮尚『日本の怨霊』③-生まれ変わらないでほしいと思われた?

 

前回、『愚管抄』の「穴を掘って獄を作って」という話を書きましたが、「土の籠」

というのが、他のところでも出てきます。『日本の怨霊』からの孫引きになりますが、

『霊安寺御霊大明神略縁起』(以下、『霊安寺縁起』)」に、幽閉の状況が出ています。

 

   宇智郡ヘ流シ奉リテ、須恵ノ庄ト云フ所ニ、土ノ籠ヲホリテ

   押籠奉リテ置キ申シキ。

 

『霊安寺縁起』は、現代語訳はもちろん翻刻資料にも行き当たることができません

でしたが、国文学資料館のWEBページから原典に当たることはできました。

 

上記「宇智郡ヘ」の記載は、全37コマあるうちの11コマ目の冒頭にありました。しかし、

何度見ても、その直前の10コマ目の最後に、「同宝亀三年壬子六月二十三日」

と書かれているように見えて仕方がないのです。

 

井上内親王さんについては、ここ数年、いろいろ調べていくうちに、自分でも

呆れるほどマニアックになり、時系列は、なんとなく頭に入っています。

それでも、「宝亀三年六月二十三日」という日付は、初めて見ました。

 

くずし字の翻刻は、あまりにも専門外なので、単なる私の読み間違えである可能性も

高いのですが、以下、「宝亀三年六月二十三日」に宇智に幽閉されたと記載されて

いるものとして話を進めます。

 

史実としての時系列は次の通りで、宇智に幽閉されたのは、宝亀4年のはずです。

・宝亀3(772)年3月2日 巫女に天皇を呪い殺す祈祷をさせたとして廃后
・宝亀3(772)年5月27日 他戸親王も母に連座して廃皇太子
・宝亀4(773)年10月19日 難波内親王(光仁天皇姉)を呪い殺した罪で宇智に幽閉

 

『霊安寺縁起』は、『日本後紀』のような正史ではなく、権威もないから、この日付は

採用されていないということなのでしょうか。けれど、正史ではないからこそ、

権力者によって改竄されなかったという見方もできると思います。正史というのは、

どうしても、勝者の目から見た歴史になってしまうからです。

 

史実では、天皇を呪詛したので、廃后したところ、今度は天皇の姉を呪詛したので、

宇智に幽閉されたことになっています。言わば執行猶予中の再犯のようなもので、

実刑もやむなしといったところでしょうか。

 

けれど、仮に『霊安寺縁起』に書いてある日付通りだとしたら、初犯で、しかも

嫌疑不十分な中、実刑に処したという印象になります。

 

聖武天皇の第一皇女であり、一時は皇后だった人を、巫女に天皇を呪い殺す

祈祷をさせたという証拠もあやふやな、たった一度だけのことに基づき幽閉して、

果ては死なせてしまったというのでは都合が悪いから、史実を改竄した? 

 

そもそも史実が伝える宇智幽閉の根拠となった難波内親王を呪い殺した罪も、

実はおかしな話です。光仁天皇が770年に62歳で即位しており、難波内親王は

その姉なのだから、ご高齢。この時代なら、普通に寿命で、老衰とも言えます。

 

少し前に、これらのことを調べていた頃、「どう考えても冤罪だし、しかも、時系列的な

改竄もされているのではないかな?」と思いながら、テーブルの上に置いた麦茶を

入れた耐熱ポットをぼんやり見ていました。そうしたら、いきなりポットがパカーンと

真っ二つに割れてしまいました。麦茶はテーブルから床の上に流れ出し、大惨事に。

 

「お母さん!! やめてよ!! めっちゃ危ないじゃん!!」と驚愕する息子。

「何も触ってないよー。見ただけだよ」 と答える私。

「触ってないけど、お母さんの仕業だよ。見ちゃ・・・だめなんだ」と言う息子。

 

現象としては霊障の一種のようですが、「正解!」のお知らせのようにも思えました。

もしかしたら、「違うよ!」のお知らせなのかもしれませんけれど。

 

大森亮尚『日本の怨霊』⑤-前世の人の想い