《これまでのお話》

ヒプノセラピー:出家した山城の姫①

ヒプノセラピー:出家した山城の姫②

 

このときのセッションでは、終了後に、この人は誰だったのだろうという、答え合わせの

ようなことはしませんでした。なので、私個人の感覚によるものになりますが、この人は、

一向一揆の時代の人のように思えました。

 

このセッションを受けたのは、マリア先生と一向一揆の地の浄化旅に行った直後でした。

それもあって、私の潜在意識が一向一揆に関することを引き寄せたのか、浄化旅に

行ったから一向一揆に関することに引き寄せられたのか。理由はよくわかりませんが、

浄化旅に行ったことと、セッションで出てきたことに、関連がありそうな気はしました。

 

「一向一揆の里」という道の駅があり、お蕎麦が美味しいのですが、それは余談です。

この道の駅には、一向一揆歴史資料館があり、一向一揆について、映像や展示で

詳しく説明しています。

 

過去にも何度か、道の駅で食事をしたり、買い物をしたときに資料館に立ち寄ったことが

ありましたが、浄化旅のときにも行きました。

 

資料館で、毎回、気になって見入ってしまうのが、二曲(ふとげ)姫に関する展示でした。

二曲姫は、白山麓の山内衆の総大将として派遣された旗本・鈴木出羽守の娘です。

 

「山内」は白山麓の通称で、白山麓の本願寺門徒組織の構成員は「山内衆」と呼ばれて

いました。鈴木出羽守は、白山麓にあった鳥越城の城主でした。鳥越城には、

二曲城という付け城があり、この二つの山城は、加賀一向一揆最後の拠点となりました。

 

以下、浄化旅の日に資料館で貰ってきた資料の「林西寺文書より」と記されている箇所と、

資料館等で見て記憶している内容に基づき、二曲姫に関係する史実を簡単に書きます。

 

 * - * - * - * - * 

 

1580年3月に、石山合戦(浄土真宗本願寺勢力と織田信長の戦い)が、本願寺側の

顕如の敗退によって終結したことで、全国各地の一向一揆は勢いを失いましたが、

北陸方面の一向一揆は信長軍に対して抵抗を続けました。

 

同年4月に金沢御坊(現・金沢城)が落城した後も、白山麓の山内衆は抵抗を続けました。

けれど、同年11月17日、鈴木出羽守と息子たちは、休戦の話し合いをしようともちかけて

きた柴田勝家に騙されて、松任城に誘き出され、殺害されてしまいます。

 

総大将を失った山内衆は、勢いを失い、鳥越城も二曲城も落城しました。落城の際、

鈴木出羽守の娘、二曲姫も捕らわれ、後に加賀の領主となった信長軍の佐久間盛政の

保護監督下に置かれました。佐久間盛政は二曲姫に求婚しましたが、二曲姫はこれを

断り、出家しました。

 

その後も山内衆は抵抗を続け、2度にわたって蜂起しました。

このとき、二曲姫は、佐久間盛政と山内衆の板挟みになり、自害したと言われています。

 

結局、蜂起した山内衆は鎮圧され、大規模な残党狩りも行われました。1582年3月、

300人以上が捕らえられ、残雪の中、磔刑に処され、加賀一向一揆は終結しました。

 

 * - * - * - * - * 

 

私がセッションで見たのは、この二曲姫だったのではないかという気がしました。

そのように思った根拠は、ストーリーが似ていたということも、もちろんありますが、

セッションで見た景色が、今の二曲地区から見た景色にとてもよく似ていたからです。

 

ただ、私がセッションで見た人は、自害はせずに、殺害されており、その点は違います。

これについては、二曲姫は自害したという説もある一方で、雑兵に殺されたという説も

見たことがあります。

 

父親の鈴木出羽守ですら、残されている資料が少ないらしいので、二曲姫については、

なおのこと、史実として明確なことは、残っていないのかもしれません。

 

ヒプノセラピー:出家した山城の姫④