樋口真吉に関する古い新聞記事が見つかりましたので
ご紹介します。
2005年1月8日の読売新聞
◆樋口文太郎氏(故人)
この記事によると、文太郎氏は真吉のひ孫であり、1985年に、
彼に託された樋口真吉の遺品約70点を市に寄贈したという。
その内容は、龍馬暗殺など当時の情勢を記した「日新録」や漢詩、
砲術資材などらしい。
記事によれば、今後樋口真吉の功績を掘り起こして、観光や歴史の街
作りに役立てようと、当時の沢田市長との対話したと書かれています。
この新聞記事から今年で13年、資料が提供されてから33年、
やっと本年に「樋口真吉顕彰会」が結成された段階です。
何でもっと早く?と考えたいのですが、実は以下の事実が踏み台になっています。
◆渋谷雅之先生の登場
この提供された資料のお陰で、渋谷雅之先生が、
「樋口真吉日記(上下)」
を出版されたのです。
この本のお陰で、樋口真吉という200年昔の人物像が
かなり具体的にわかってきました。
われわれ一般市民がこの本を図書館で読むことができるようになったのです。
その他にも、「樋口真吉伝」という本も出版されました。
そうしたお陰で、やっと樋口真吉顕彰会の発会に至ったのです。
ちょうど、高知県は幕末維新博の2年目がオープンしました。
坂本龍馬記念館も新装オープンしました。
坂本龍馬や中岡慎太郎、武市半平太などのお歴々に加えて
樋口真吉にも注目してほしいものです。
幸い樋口真吉については、几帳面な性格で日記を克明に残しています。単なる剣客ではなく、土佐藩の情報将校的な役割を果たし、各地に砲台を作り、戊辰戦争にも参加しています。
龍馬の最後の手紙で、隠れ家を探してほしいと依頼された人物です。
彼の銅像を作って、次世代に伝えたいと考えています。
完