公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜 -130ページ目

公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

仕事も家族・友人との私事も楽しみながら、魂を燃やして挑む“志事”で社会を変えていきたい! 地方公務員として働きながら、NPO活動、講演、執筆、ワークショップデザイナーなどに取り組む“公務員ポートフォリオワーカー”として活動しています。

おはようございます。


今日は朝から、
と~~~っても嬉しいニュース

あ、全世界的にとかじゃなく、わたし的に、ですよ(^^;



そのニュースというのは、
同じ公務員の友人が、私と同じように、

実名で、ご自身の活動について

発信するブログを始めた、というもの。



そのブログがこちら。
中尾雅幸の人つなぎの旅



ブログを書いている中尾雅幸さんは、
私が九州に行ったときに、福岡でお会いして、

福岡~武雄~諫早とご一緒した、
(武雄からは諫早市の村川さんと三人旅に!)

佐賀県武雄市の職員でありながら、
地元中学校との活動などにも取り組んでおられる

地域に飛び出す公務員 です。



九州旅行での話はこちらのブログをご覧ください
 人に出会う旅①~九州・福岡編~
 人に出会う旅②~九州・武雄編~
 人に出会う旅③~九州・諫早編~
 人に出会う旅④~完結編~




道中でお互いに
仕事の話も、地域での課外活動の話も
いろいろなお話をさせていただき、
いろいろなお話をお聴きして、意見交換もして、


私も大変に刺激をいただきました。



特に、地域で子どもを育むとはどういうことか、
必要な人のために居場所を作るとはどういうことか、

中尾さんの考え方から
「私も負けないように頑張ろう!」と勇気をいただきました。




そんな武雄市の中尾さんが、
ご自身の活動について、
ブログで発信を始めるとのこと。

そのブログがこちら。
中尾雅幸の人つなぎの旅



地域で頑張る人たちを応援しながら、
人と人とをつなげる役割を担おうとする中尾さんの活動、
距離は離れていますが、とても注目しています!


中尾さん、お互い頑張りましょ~!(*^ー^)ノ



中尾さんとの思い出の一枚@武雄温泉

今朝のブログで
『翻訳できない 世界のことば』
という本のことを紹介しました。

http://ameblo.jp/shimada10708/entry-12196227994.html

その記事の中で、

“この本を読んで英語の勉強のことも
ブログに書こうと思っていたのですが
ちょっと長くなったので別の記事で書きますね。”


と書きました。


ということで書きますね、英語の勉強のこと。



最初にことわっておきますが、
私は英語は話せません



日本の教育課程での英語ということでいえば、

中学ではそこそこ

高校で落ちこぼれて

大学入試(浪人)で目覚めて


大学の教養課程で忘れた
(笑)

というクチです。



でも、大学入試のための浪人時代、
代々木にあるゼミナールに通っているときは、
いろいろな英語の先生の授業を聴いて、
それこそ予習・復習も必死にやって、

こんな本も読んで、理解しようとしていました。

おかげさまで、受験英語の成績はものすごく改善して、
受験勉強の合間に、書店でペーパーバックを買って
ディケンズを読むくらいになりました。
遠い昔の話です、今はもう・・・・・・(遠い目)



その頃から私がずっと感じている、
英語の教育に対する違和感。



それは、正解と不正解しかない、ということに対する違和感。



英語を学校で習うと、
日本語の文章を英訳させられたり、
英語の文章を和訳させられたりしますよね。

あとは、適切な単語を穴埋めさせられたり。


それらの問題を解いて、
文脈と文法的に正しければ正解。
そうでなければ不正解。



まぁ、学校教育ではそういうことなんでしょうが、

その不正解になった文章、ちょっと待った~!!

って、思うんです。



学んでるのは言葉ですよね。


“get on the train” と書くべきところを
“get in the train” と書いてしまったとき、
それが不正解だから “in” に赤ペンで「×」を付けて、
上から “on” と書き直したら終わりなのは何でだろう?



学んでるのは言葉ですよね?



その不正解となった
“get in the train” で
英語圏の人に伝わる情報が何かしらありますよね?

意図した意味、伝えたかった意味とは違っても、
自国の言語で何かしらを語りかけられたら、
少々間違った単語や文法でも、
何かしらの意味は感じ取りますよね。

まぁ、on  と in の違いくらいなら文脈から
伝えたいと思った意図を汲み取って理解してくれる気もしますし、

実際に冠詞やちょっとした単語・文法の違いなら、
先生も笑いながら
「これじゃ、こういう風な意味になっちゃうな~」
って振り返ってくれたりしますけど。



そういうついでな感じではなくて、
実はそこに言葉を学ぶ本質があるんじゃないのかな?

単に不正解で終わらすのではなく、
教科書では紹介してもらえない不正解の文章によって、
意図せず伝わってしまう文意にこそ価値があるのでは?


だって、
英語を使おうと思ったら、
自分だってきっとちょいちょい間違うし、

会話だもん、
相手だって
間違った英語を話すことはありますよね。

間違った、不正解だった文章を
棄て去りながら学んできたから、
正しい文法・単語だと確信できないと
会話の場面で固まっちゃうんじゃないのかな?



私が受験英語を学んでいた20年以上前、
私が過ごした学び舎には、
この疑問に答えてくれる英語教育は、
残念ながらありませんでした。

今は少し変わっているのでしょうか。

社会人の学ぶ英会話教室などでは、
一般的に触れてもらえているのでしょうか。

取材不足で、そのあたりは確認していませんが、
英語教育の中で、この

不正解の文章の価値

が認められているといいな、って願っています。



間違ったことによる価値が意外と大切なのは、
もちろん英語教育に限った話ではありませんけどね~

素敵な本と出会って、
本屋で一旦は手にとってパラパラとめくったものの、
その場では購入せずに陳列棚に戻して店を後にしたけれど、
エスカレーターで階下へと降りる途中で思い直して、
反対側のエスカレーターで再び本屋へ向かい、
その本を手にとってレジに並んでいるときの
えもいわれぬ心が満たされる感じ。


私がこんな幸せな気持ちでレジに並んで購入したのが、
この『翻訳できない 世界のことば』。


もし海外の見知らぬ国の見知らぬ言語では、
この気持ちをたった一つの単語で表すとしたら、
きっとその単語を日本語の単語に翻訳することは出来ないですよね。





この本には、そんな単語がいくつも紹介されています。

ウブントゥ(ズールー語)やサウダージ(ポルトガル語)などは、
もしかしたら聴いたことがあるかもしれません。


ちなみに、著者は日本人ではないので、
『翻訳できない 世界のことば』として日本語も掲載されています。

ボケット、ワビサビ、ツンドク、コモレビなど。


翻訳できないことばを、
どうやって表現するのか。


その表現の仕方が、
とても素敵なのは
著者もさることながら
訳者の訳もあってのこと。


エスキモーが『雪』を表す多くの言語を持ち、
日本人が『雨』を表す多くの言語を持つように、

そんなモノ・コトを表す単語があるの!?

という驚きに満ちた一冊です。



妻にもオススメしたら
ブログに感想を書いてくれました(*^^*)
http://s.ameblo.jp/hidamarintmama/entry-12195969243.html



そういえば、

この本を読んで英語の勉強のことも
ブログに書こうと思っていたのですが
ちょっと長くなったので別の記事で書きますね。




ちなみに余談ですが、
他の言語で翻訳できない言葉があるのは

ん~、まあ、そういうこともあるよね

って思えるのに、
同じ日本人同士になってしまうと、

自分の言ってることが相手に伝わって当然、
理解できないのは聴いてる相手が悪い

って思ってしまうのは何ででしょうね。


翻訳できない世界のことば

様々な課外活動に携わっていると、
大抵、たくさんの作業を引き受けて負荷が高くなる人と、
あまり作業を引き受けない人が出てきます。


負荷が高い人からすると、
あまり手を動かしていない人に対しては
「もっと協力してくれたらいいのに!」
と思うこともあるのでしょうが、

手を動かしていない人としては
「仕事も忙しいし、家庭のこともあるし」
「そもそも課外活動だし強制されるものじゃないでしょ」

と思ったり。(口には決して出さないでしょうが)



ボランティアを受け入れるイベントや、
NPOの運営などではありがちな問題ですよね。


この問題、活動の運営側と、
進んで協力をして負荷が高い方になりがちな人、
それぞれで捉え方が異なると思うのですが、

どちらの立場にもなったことがある私が思うのは、
「手を動かさない人を追い込まない」ということ。



彼らには彼らの事情があって手が動いてないわけです。
その事情の中には忙しいという物理的な制約もありますが、
詰まるところそれは“優先順位”の問題です。


やりたいと思って手を挙げて参加はしたものの、
そのモチベーションの大きさから設定される活動の優先順位が、
他の作業を押し退けるほどには高くないということです。

その優先順位の設定を責めることに意味はありません。

そこを責めても、
その人が活動に対する優先順位を上げるわけではありませんし、
それどころか責められることで、今まで以上に
活動から距離を取ることになってしまいます。


課外活動は、課外活動である以上、
上司と部下の関係があるわけではありませんし、
雇用者と被雇用者の関係ももちろんありません。



そこには、

自分がやりたいと思う限りにおいてやる

という極めて純粋な原理しか働かないと私は考えています。



そこに“やるべき”とか“責任”という言葉を持ち込んでも、
それらの言葉は、正直言って、ほとんど機能しません。

やらない人は、“べき論”や“責任”も承知の上で、
結果として一緒に活動している仲間の評価が下がることも承知で、
やらないことを選択し、決断しているのですから。



最近、私自身が“高い負荷を引き受ける側”に回るときに
常に思っているのは、

 やりたいと思っているこれらの素敵な活動を、
 たくさんやらせてもらえることに感謝しよう


ということです。



やりたいと思っても、各個人の事情(仕事や家庭)があって
なかなか思うように作業に参加できないという人がいて、
その人たちも本当はこの作業をやりたいに違いないと想像しながら

やらせてもらえる自分は、
やらせてもらえる環境(職場や家族)に感謝すると同時に、
やりたい作業を“手放して”私にその活動への貢献を譲ってくれる
手が動かない人たちに対しても感謝しています。



やってる自分と
やらないあの人を較べることに
心の熱量を費やさないで、

今の自分ができることに集中し、
今の自分がやらせてもらえることに感謝する。



そう考えると、
課外活動に参加して“なんで私ばっかり!”と思うこともなく、
もっと心が自由になる気がするのですが、如何でしょうか。




昼間は相変わらずの暑さですが、
朝夕はめっきり秋らしくなってきましたね(^^



来週から市議会

ということで、

市議会の気配を少しずつ感じるこの数日。


議会棟に足を運ぶことも増え。


市議会の存在意義と
執行部と市議会の関係について
考えることも多くなる時期。


この市議会では
どんな有意義な議論があるのか、

無為な足の引っ張り合いが
無いといいな〜と思ったり。


下っ端としては、
答弁云々もあるものの
手元の事業を進めるために
幹部の身柄を確保しなくてはならず、

この期間は多少気を遣います。




そういえば、少し前の記事ですが
市議会の存在意義については
こんな記事もありました。


ダイヤモンド オンライン
地方議会に政策立案能力を求めるのは机上の空論か?


記事では
「信じられない」
なんていうコメントもありますが、

市議会って、そういうお仕事ですよね。
もちろんチェック機能 “も” 大事ですが。