やらない人がズルいのではなく、自分にやらせてもらえることに感謝 | 公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

仕事も家族・友人との私事も楽しみながら、魂を燃やして挑む“志事”で社会を変えていきたい! 地方公務員として働きながら、NPO活動、講演、執筆、ワークショップデザイナーなどに取り組む“公務員ポートフォリオワーカー”として活動しています。

様々な課外活動に携わっていると、
大抵、たくさんの作業を引き受けて負荷が高くなる人と、
あまり作業を引き受けない人が出てきます。


負荷が高い人からすると、
あまり手を動かしていない人に対しては
「もっと協力してくれたらいいのに!」
と思うこともあるのでしょうが、

手を動かしていない人としては
「仕事も忙しいし、家庭のこともあるし」
「そもそも課外活動だし強制されるものじゃないでしょ」

と思ったり。(口には決して出さないでしょうが)



ボランティアを受け入れるイベントや、
NPOの運営などではありがちな問題ですよね。


この問題、活動の運営側と、
進んで協力をして負荷が高い方になりがちな人、
それぞれで捉え方が異なると思うのですが、

どちらの立場にもなったことがある私が思うのは、
「手を動かさない人を追い込まない」ということ。



彼らには彼らの事情があって手が動いてないわけです。
その事情の中には忙しいという物理的な制約もありますが、
詰まるところそれは“優先順位”の問題です。


やりたいと思って手を挙げて参加はしたものの、
そのモチベーションの大きさから設定される活動の優先順位が、
他の作業を押し退けるほどには高くないということです。

その優先順位の設定を責めることに意味はありません。

そこを責めても、
その人が活動に対する優先順位を上げるわけではありませんし、
それどころか責められることで、今まで以上に
活動から距離を取ることになってしまいます。


課外活動は、課外活動である以上、
上司と部下の関係があるわけではありませんし、
雇用者と被雇用者の関係ももちろんありません。



そこには、

自分がやりたいと思う限りにおいてやる

という極めて純粋な原理しか働かないと私は考えています。



そこに“やるべき”とか“責任”という言葉を持ち込んでも、
それらの言葉は、正直言って、ほとんど機能しません。

やらない人は、“べき論”や“責任”も承知の上で、
結果として一緒に活動している仲間の評価が下がることも承知で、
やらないことを選択し、決断しているのですから。



最近、私自身が“高い負荷を引き受ける側”に回るときに
常に思っているのは、

 やりたいと思っているこれらの素敵な活動を、
 たくさんやらせてもらえることに感謝しよう


ということです。



やりたいと思っても、各個人の事情(仕事や家庭)があって
なかなか思うように作業に参加できないという人がいて、
その人たちも本当はこの作業をやりたいに違いないと想像しながら

やらせてもらえる自分は、
やらせてもらえる環境(職場や家族)に感謝すると同時に、
やりたい作業を“手放して”私にその活動への貢献を譲ってくれる
手が動かない人たちに対しても感謝しています。



やってる自分と
やらないあの人を較べることに
心の熱量を費やさないで、

今の自分ができることに集中し、
今の自分がやらせてもらえることに感謝する。



そう考えると、
課外活動に参加して“なんで私ばっかり!”と思うこともなく、
もっと心が自由になる気がするのですが、如何でしょうか。




昼間は相変わらずの暑さですが、
朝夕はめっきり秋らしくなってきましたね(^^