12月18日に祖母が亡くなりました。
享年89歳。
60代で心臓に大きな手術をした当時
「これであと10~15年間は生きられるだろう」
と言われていたことを考えれば、期待を大きく超えて長生き出来たことは大変有り難いことだったのかもしれません。
父と縁が切れて、母とまだ子どもだった私たち兄妹が転がり込む“シェルター”を提供してくれたのが祖母でした。
祖母の家で暮らした数年間は、まぁ色々ありましたが、家族3人が生き延びるために必要な時間だったし、シェルターを提供してくれた祖母には感謝しています。
12月21日には小さな家族葬ではありますが、葬儀・告別式・初七日法要まで終えて、今日から少しだけ日常に戻りつつあります。
11月に入院してからは、いつ病院から呼び出されるか分からない日々が続き(実際に数度は駆けつけ)、毎日病院に通っていた母ほどではありませんが、私も晴れない心を抱えながら、頭の片隅に常に祖母のことがあるような毎日を過ごしていました。
亡くなったことは悲しいけれど、心を何処にどう置いておいたらいいのか分からなかった1ヶ月間が終わって天に向かって祖母に語りかければいいんだと思えるようになったことは、不謹慎かもしれませんが、心の在りようを自分で定められるようになった分だけ救いがあります。
この間、付き合いが悪かったり、一緒にお酒が飲めなかったり、やることなすこと冴えなかったり、コミュニケーション不足があったり、諸々ご迷惑・ご心配をおかけした(している)皆さま、申し訳ありません。
こうして、私から見た“祖父母”の世代がいなくなり、私の小さな範囲の親戚の一番上の世代が母や叔父になると、また一つ、家族の“時代”が変わったような感覚。
もしかしたら、こういうタイミングも、後から振り返ったときに何らかの“節目”だったと思うのかもしれませんね。
祖母と2人で暮らしていた母が、実家で一人暮らしになりますので、今まで以上に労(いた)わろうと思います。