4年前のあの日 | 公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

公務員 島田正樹 〜仕事と私事と志事と〜

仕事も家族・友人との私事も楽しみながら、魂を燃やして挑む“志事”で社会を変えていきたい! 地方公務員として働きながら、NPO活動、講演、執筆、ワークショップデザイナーなどに取り組む“公務員ポートフォリオワーカー”として活動しています。

3.11

あの瞬間。

私は見沼区の研修所にいました。

もちろん鉄道は止まり、
何とか捕まえたタクシーに相乗りして、
同僚らと大宮駅まで出たのを憶えています。


人であふれる大宮駅周辺。
タクシーとバスの長い列。
繋がらないケータイを険しい表情でいじる人々。

我が家は臨月の妻が里帰り出産のために
長女を連れて仙台に帰省していました。

家族の無事が分かるまでの長い夜。



二日後だったでしょうか、
水とガスが使えず難儀しているという
妻と実家の義父母たちのために
海外旅行用のバッグに生鮮食品と
IHヒーターを詰めて新潟に向かいました。
東北道も東北新幹線も通じない当時、
新潟からなら高速バスで仙台に入れるらしい。

職場の上司は快く送り出してくれました。

新潟駅周辺は、私と同じことを考えて
東北地方に向かう人たちであふれていました。

新潟から発車したバスの中の、
重苦しい空気を今でも憶えています。


仙台の妻の実家では、
生活用品の買出しをよく手伝いましたが、
何より大変だったのは毎日の水汲み。

持って行ったIHクッキングヒーターは
ガスが開通するまでは重宝しました。


そして、何故か仙台市役所へ手伝いに。

当時、電気自動車普及の仕事をしていた私は、
自分の職場の仕事でさいたま市から来る
電気自動車を受け入れる準備にあたりました。
環境部の片隅で自前のPCを持ち込んで、
WiFiでさいたま市の担当課とのやり取り。

当時はガソリンの供給が十分ではなく、
市内のガソリンスタンドは軒並み大行列。
市役所も公用車を走らせるのに困っていたので、
ガソリンが無くても走る電気自動車を
さいたま市環境局からレンタルすることに。


水汲み。買い物。仙台市役所。そんな毎日。


そして。 3月25日。


とうとう次女が誕生。


震災で不安だった家族の気持ちを
全部受け止めながら生まれてきてくれたのが、
次女の環(たまき)でした。


電気自動車も仙台市役所で無事に運用が始まり、
年度末までに一度出勤した方がいいだろうと
私は埼玉に戻りました。
たぶん3月27日頃。


震災の後日談というのは色々ありますが、
私にとっての、震災の「その時」というのは
仙台から埼玉に戻る高速バスを降りるまでの2週間。


一瞬の災害で、街の姿が変わり、人の営みが変わる。


それでも仙台市役所には
呆然として立ち尽くしている人はいませんでした。
誰も彼も、手が動き、足が動いていました。

そのことを同じ公務員として
誇りに感じたのを憶えています。

あの時、公務員としてあの場所にいたことは、
私にとって大きな意味を持っています。