番外編 | しまばら薬局 健康ブログ

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みなさん、こんにちは。 しまばら薬局スタッフの森崎ですニコニコ

今回のブログは番外編です音譜

宮崎県で発行されている新聞、『日本講演新聞』から、私が感動した話、面白かった話、ためになった話をひとつ選んでご紹介したいと思います。

 

 

 

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自分自身を励ました日記~「これが私の人生なら、歩くしかない」~

『1リットルの涙』の著者・木藤亜也さんのお母さん 木藤潮香

 

 

 娘・亜也の異変に気づいたのは15歳の時でした。体の運動神経がなくなっていく「脊髄(せきずい)小脳変性症」という病気でした。

 病気をどう受け止め、どう歩んでいくべきか、とても悩みました。そして「この子が『生きてきてよかった』と思えるような人生にしよう」と考えました。
 

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 まずいじめの問題にぶつかりました。左右に大きく揺れながら歩く亜也を見て、笑いながら真似をする子がいました。

 笑われようが、歩かなければ前へは進めません。亜也はそのつらさに1人で耐えました。

 亜也の病気の進行は早く、できることがどんどん減っていきました。ボタンを一つはめるのに、10分以上かかる時もありました。

 その一生懸命な姿を見ながら、「ゆっくりでいいよ」と笑って待ってあげました。

 亜也は普通高校に進学しました。最初は戸惑っていた友だちも、だんだん亜也と仲良くなってくれました。

 「亜也ちゃん、私たちは友だちだから、手伝った時にいちいちお礼を言わなくていいんだよ」とも言ってくれました。亜也は学校生活が生きる喜びでした。

 でもある日学校から連絡が入り、「亜也さんを転校させるか退学させるかしてもらえませんか」と言われたのです。

 亜也にそのことを伝えると、「お友だちと別れたくない。行ける間はこの学校に行きたい。でもみんなに迷惑をかけることも分かっている。もう少し待って。自分で決めるから」と言いました。

 その後、私は先生に会ってお願いしました。

 「あの子は今、できないことが毎日増えていき、不安や恐怖でいっぱいです。学校は亜也にとって希望の光です。どうか『最後まで楽しい学校だった』という思い出をたくさん作ってあげてください」と。

 先生は同僚や先輩に相談され、亜也にそれまでと変わらない生活を送らせてくれました。

 亜也は学校を去る時、こんな言葉を友だちに伝えました。

 「これが私の人生なら、前を見て歩いていくしかないと思っています。みんな、親切にしてくれてありがとう。みんなから受けたこの愛、私は一生忘れません」
 

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 亜也を入院させる日、私は亜也の妹と弟に「お母さんは仕事を辞めてお姉ちゃんに付き添おうと思う。2人にいっぱい負担をかけるけどごめんね」と言いました。

 2人は「家のことは大丈夫だからお姉ちゃんをしっかり看てあげてね」と励ましてくれました。

 いろんな人に助けてもらう日々の中で、「あれほど人の役に立ちたがっていた亜也が、人の世話になりっぱなしの人生を終えるのはどんなに無念だろう」と思いました。

 そんな時、亜也の日記を見つけました。自分自身をどれだけ励ましながらがんばっていたかを知り、愕然としました。

 「この亜也の気持ちを伝えたい。そうすれば『亜也も人の役に立ったね』と言ってあげられる」。そう思った私は、この日記を『1リットルの涙』という本にしました。

 出版後、多くの方からお手紙が届きました。「見ず知らずの人が『亜也ちゃんがんばって』『ありがとう』ってたくさん言ってくれたね。生きてきてよかったね」、2人でそう言って喜びました。

 その2年後、亜也は逝ってしまいました。亜也は最後まで「ありがとう」をいろんな人に笑顔で伝えました。
 

(2008年8月4日号より)