今日は、
瞑想をすると自分の思考を客観的に見れるようになる!?
という話をします。
マインドフルネス瞑想をすると「客観的な視点が身につく」とよく言われます。
自分自身を客観的に見ることができると。
確かにそうなんですが、これはちょっと誤解しやすい話なんです。
客観的な視点と言うと、下の図のようなイメージだと思います。
心が自分の体から抜け出して、少し上から見ているような視点。
これだと、なんか自分を突き放した、冷たい感じに見えます。
ちょっと離人症のようにも見えます。
離人症というのは、自分の心と体が離れているように感じ、現実感を感じられなくなってしまうという、心の病の症状です。
本来、マインドフルネス瞑想は、自分の心や体に意識を向け、感覚を感じ、心と体を一致させていくものです。
しかし、図ではそれと逆になっているように見えます。
ここは、けっこう誤解されやすいポイントです。
しかし、瞑想の真髄に関わる、とても重要なポイントなんです。
実は、上の図はちょっと間違っているんですね。
マインドフルネス瞑想をやると、客観的な視点が身につく
ということを、正しく図で表現してみます。
普段の私達は多くの時間、意識(図のオレンジの丸)が、思考に向かっています。
意識が思考に没頭していて、思考を客観的には見れません。
一方で、自分の体の感覚には、ほとんど意識が向いていません。
体から意識が離れてしまっていると言えます。
マインドフルネス瞑想では、自分の体の感覚に意識を向けていきます。
そうすると、心と体が一致し、上の空で体から離れていた意識が、体に戻ってきます。
その位置は、思考から一歩離れた位置です。
その位置から、思考を一歩引いて眺めることができます。
だから、自分の思考を客観的に見ることができるんです。
つまり、瞑想をすると自分から離れた位置に視点が移る、という最初の図は間違いなんです。
普段、自分がどの視点にいるのか、自分の心がどこにあるのか
そこがこの話のカギになるわけです。
私達は普段、自分の心は自分の体にあると思いながら、実は体から離れているんです。
自分の体の感覚には、意識が向いていません。
自分から離れた外側のこと、過去のこと、未来のことなどに意識が向いていて、今ココの自分の体には向いていないんです。
そして、そのことを自覚していません。
よく精神世界系の話では
修行して悟りを開くのではない
誰でも初めから悟っているのだ
しかしそれに気づいていないだけだ
と言ったりします。
それに近い話ですね。
どこか遠くに探しに行っても見つからない
本来の自分の場所に戻るだけでいいのだ
という考え方です。
図にするとこんな感じです。
普段の意識は思考の中にいて、そこから四方八方を探し回ります。
しかし、肝心の自分自身のところには、探しに行かないんです。
そこが死角になっているんです。
なぜなら、自分自身についてはもう充分わかっているから、そこは探さなくてもいい、と思っているからです。
灯台下暗しというやつですね。
一番近くが、実は一番見えない。
このようなモチーフのお話は、世界中にあります。
例えば、幸せの青い鳥という童話なんて、そうですね。
幸せの青い鳥を探して、あちこち旅して回るけど、どうしても見つからない
あきらめて家に帰ってくると、実は家に青い鳥がいた
という話です。
これも、遠くにあると思っていたものが、実は一番近くにあった
という話ですね。
多くの文学作品や神話などにも、同じモチーフが用いられています。
このモチーフは、人の心の本質をついた話なのでしょう。
自分の足元を見る。
自分の一番近くを見る。
それが最も忘れやすく、しかし、最も重要な事なのです。