「書くこと」は「叫び」なのだろうか、なぞなぞ。 | ・


やあ、ドイツ

みなさま、こんばんは。

今日はドイツ語のお話。


作家・多和田葉子さんの『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』

エクソフォニー-母語の外へ出る旅-/多和田 葉子
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より。


「音的に見ても、意味的に見ても、書くこと叫ぶこと複雑な関係にある。でも、実際に叫び

文字にできるのは、少しは恵まれた環境にある者だけである。自分の受けたい教育を受けるこ

とができ、小説や詩を書いている余裕のある環境に育つことは、どちらかというとめずらしい。

多くの者は、叫びたくても声を持たないので、眼ばかり大きく見開いて、人間たちが壊れていく

様子をまのあたりにしながら、聞こえない叫びの中で死んでいくしかない。又、書く代わりに本

当に叫び始めてしまったら、精神病者ということにされてしまう。書くことは叫ぶことではない。

しかし、叫びから完全に切り離されてしまったら、それはもう文学ではない。叫ぶことと書くこと

は、切っても切り離せない関係にある。この二つの単語は、言語学的にみて語源が同じなので

はなく、一人の人間が生きてきた過程でもう離れられないくらい密接に結びついたものなのである。」


ドイツ語の Schrei(シュライ) 

これは「叫び、叫び声、(激しい要望)」という意味の名詞です。


そしてこれに -en をつけると   

schreiben(シュライベン)

これは「書く」という意味の動詞になります。


あ、これは面白い。

「書く」という単語には「叫び」という単語が含まれています。


「書く」ことで、心の中身や頭の中身を外へと吐き出しています。

「叫ぶ」ことも、心の中身や頭の中身を外へと吐き出す行為です。


「書く」ことは、一種の「叫び」なのかもと思う。

でも、実際に声に出して思い切り「叫」びたいとも思う。


何かに行き詰ったとき、

悩んで迷ってどうしようもないとき、

まずは叫んでみよう。

声に出しても、言葉を書いても、どちらでも、

きっと心は軽くなるよ。