わからないことがわかったってことは、知れたってこと。それはもうわかったも同然なのだ。 | ヒキザンガヨガ

ヒキザンガヨガ

ヨガの本質をばらまきたい変態。ヨガは人間の可能性を開花させ 人生を自由自在にクリエイトし、これからの時代を生き抜くためにも必要な物事の本質を見極める視点を養う、超ロジカルなメソッド。自分を生きることができる時代がきた、ヨガをしよう!



day.1








知ったけれど、わからない、のは当然で、やったことがなければわからない。けれど、わからないことがわかったってことは、知れたってこと。わからないことがわかったってことは、それは、もう、わかったも同然なのだ。










4時に起きて、


外に出てみると、

緑の匂いがすごくて驚いたなー。






人が寝静まっている間に、


浄化されているんだな、世界は。






新鮮なプラナをふんふん 吸い入れつつ、花道に会いてーなーと思いつつ、セブンイレブン。






ホットコーヒーをひとくち。




冴えた頭と、澄んだ外のプラナってやつのおかげさまで、香りも味も、しみわたるもんで。






そんな風に、


味わうコーヒーの時間にいつも思う。






生きているっていうのは、


コーヒーをひとくち、口に入れた瞬間のことなんだなって。






あるお坊さんが、弟子に、生きるとは何ですか!と、必死こいて聞かれたんだって。お坊さんは弟子に「サンドイッチがタベタイ、カッテコイ」と言って、サンドイッチを口に入れたんだって。で、「ああ美味しい」と言ったとき、弟子はハテナハテナハテナで、そしてそして。「これが生きることだ」といったそーな話を、10年以上?どこかの禅寺だっけ?瞑想センターだっけ。聞いたことを、いつも思い出す。






わからないものだ。最初は、なにもかもわからないものだ。楽しいとも思わないものだ。でも、知ったなら、もうわかったということなのだ。できるも同然なのだ。始めて、継続することで、そこに行けるのだ。






知らない、のでは、


なにもわからない、わかることもないかもしれない、






けれど、






知った、のであれば、






知れた、のであれば、






知れても理解できないとか、知れてもわからないとか、知ったけどできないとか、知ったことで知らななかった自分に悔いたり嘆く必要もない。






知ったけれど、わからない、のは当然で、やったことがなければわからない。けれど、わからないことがわかったってことは、知れたってこと。わからないことがわかったってことは、それは、もう、わかったも同然なのだ。






はじめる、UPDATEしつづける、継続しつづけるだけ。






からーの、






本日より、






ヒキザンガヨガ・オンラインスクールがスタート。






アシュタンガヨガ・セルフプラクティス。






みんな、5時過ぎにZOOMに入室。






ショートメディテーションからの、マントラ、誰も復唱しなかったよ。



しなかったよね。


しなかったね。

🧎🏻…






それぞれに練習をスタート。






みんな、ちらっと、画面を見ながらも、ちらっと時間以外は、自分にエネルギーのベクトルが向く。自分にベクトルを向ける時間を、共有する時間の神聖さ。自分に祈る(動く瞑想)時間を、一緒につくるって時間の価値。






人が集まるのに、自分に集中するっていう場所って、神聖だよね。


(神社とか寺とか図書館とか、静かなカフェとか)






この世界はエネルギーでできている。






みんな!またあしたね!






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まっちょるで。








shiho