カタカムナウタヒ第38首(第16首) | アカシックレコードの世界

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The Knowing Way Japan (旧Gary Bonnel Japan)認定インストラクター&プロフェッショナルアカシックリーダー中島志保のつれづれ日記です。音楽家としても活動中です♪

カム ナガラ 

アメ クニ サツチ アメ クニ サギリ 

イヤ ミソギ サネ

 

アメ クニ クラト オホマ ヒコ ヒメ 

イヤ ミソギ マリ

 

オホ ケツ ヒメ ヒノ ヤギ ハヤヲ ヒメ 

イヤ ミソギ ワク

 

月夜の山2 三日月(TAROTAROPUU)

 

かんながらの道

惟神(かんながら)とは、古神道の精神をいいます。それは、神とともにあり、神のこころで生き、神人一体となることです。惟神の道とは、自分の内なる神と、大自然を創造した神とが、相似であると気づくことでもあります。私たちは直霊(なほひ)である神から生命の光を受け継いだ分霊(わけひ)であり、古神道ではカミと人間は親子のような関係になります。そして、その人の本体である直霊と人間は、目に見えないエーテルコードでつながれています。

 

 

自然界は自然に循環する

カタカムナウタヒ第16首では、伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)の神生みによって生まれた自然界を司る四柱の神々のうち、山を司る男性神オホヤマツミノカミ(大山津見神)と野や草を司る女性神カヤノヒメノカミ(鹿屋野比売神)の二柱が生み出した八柱の神々について語られています。

カタカムナウタヒ第16首

 

そして今日ご紹介するカタカムナウタヒ第38首では、第16首に出てくる神々に、それぞれ次のような言霊が加えられています。

 

イヤ ミソギ サネ

イヤ ミソギ マリ

イヤ ミソギ ワク

 

イヤは弥栄(いやさか)の弥、あるいは八の意味、ミソギは完全な浄化、サネは境界線、マリは取り囲む、ワクは湧出することを意味します。

 

 

◎言霊(神名)神生みの神々

 ・アメノサツチノカミ:天之狭土神

  山野の峠道、山道の上りと下りの道を司る男性神

 

 ・クニノサツチノカミ:国之狭土神

  山野の峠道、山道の上りと下りの道を司る女性神

 

 ・アメノサギリノカミ:天之狭霧神

  山野にかかる霧、峠の境目を司る男性神

 

 ・クニノサギリノカミ:国之狭霧神

  山野にかかる霧、峠お境目を司る女性神

 

 ・アメノクラドノカミ:天之闇戸神

  山野の渓谷、陽の光が差さない谷間を司る男性神

 

 ・クニノクラドノカミ:国之闇戸神

  山野の渓谷、陽の光が差さない谷間を司る女性神

 

 ・オホトマトヒノコノカミ:大戸惑子神

  霧がかかり陽の光が差さない峠の谷間の細道で迷う男性神


 ・オホトマトイメノカミ:大戸惑女神

  霧がかかり陽の光が差さない峠の谷間の細道で迷う女性神

 

 ・トリノイハクスフネノカミ:鳥之石楠船神・天鳥船

  神が世界を巡るために使用した空を飛ぶこともできた船の男性神

 

 ・オオケツヒメ:大宜都比売神

  食物や穀物を司る女性神

 

このように、大自然からその状況に応じてひとつひとつ生み出された神々は、その役割を果たすために存在しています。完全なるバランスで循環しており、それらの波動が融合かつ調和しながら、地上のすべての生命体を維持しているのです。

 

終わりには、伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)の最後の神生み(17番目の神生み)である火之炫毘古神(ヒノヤギハヤヲ)について語られています。

◎言霊(神名)神生みの神々

 ・ヒノヤギハヤヲ:火之炫毘古神

  火を司る男性神

 

火之炫毘古神(ヒノカガヒコ)は火の神であったために、母であるイザナミの産道を通る際に火傷を負わせ、これがもとでイザナミは死んでしまいます。イザナミを死に至らしめたことに怒りをおぼえたイザナギは、天之尾羽張(アメノオハバリ)という十束剣(とつかのつるぎ)でヒノカガヒコの首を落として殺してしまいます。そして、ヒノカガヒコの首から流れ出た血液から八柱の神々(石析神、根析神、石箇之男神、甕速日神、樋速日神、建御雷之男神、闇淤加美神、闇御津羽神)が生まれ、死体の各部位から八柱の神々(正鹿山津見神(頭部)、淤騰山津見神(胸部)、奥山津見神(腹部)、闇山津見神(陰部)、志芸山津見神(左手)、羽山津見神(右手)、原山津見神(左足)、戸山津見神(右足)が生まれました。

 

 

このウタヒを声に出しているとき、ふと、自然界というものは、人間が存在しなくても、自然に循環するものだというメッセージが降りてきました。人間がこの世界にあらわれる前、この地球上には、完璧な生命の循環が行われていたのだと思います。そこに人間があらわれて、自然の摂理に反することをイロイロとやっているのです。たとえば少子化対策とか、森林保全とか、そういう言葉を聞いたとき、もともと自然の摂理によるものを人間の手で操作することに滑稽さを感じます。

 

私たち人間が地球にあらわれる前にも、自然は完璧な形で循環していたことをイメージするだけで、自然に対する畏敬の念が生まれるように思います。

 

霧に覆われた山脈の湖5:AI生成(ぼうぶら)