アマツ ミソラ ノ アメ ヒトツ ハシラ サド
オホ ヤマト イヤ シロチ
タニ キビコ アキツ ノ イヤ シロ スベ
シマ カサネ オホ タマル ワケ
オホ コト オシヲ トワ チカ フタヤ ヒメ
神々によって生み出された島々
この宇宙が誕生したあと、私たち人間が住むこの世界はどのようにして創造されたのでしょうか。古事記では、天地開闢(てんちかいびゃく)の際、神世七代(かみよななよ)の神々である伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の二柱の神が、別天津神(コトアマツカミ)の神々に混沌としている大地を完成させよと命じられ、天と地を繋ぐ天上の浮き橋である天の浮橋(あめのうきはし)に立ち、別天津神の神々から賜った天の沼矛(あめのぬぼこ)をその混沌とした大地の中に入れてかき混ぜ、引き上げたところ、その矛先(ほこさき)から滴り落ちた雫(しずく)が積もり、淤能碁呂島(オノコロシマ)が誕生しました。
言霊によると、淤能碁呂には「おのずから凝り固まる」という意味があります。この後、伊邪那岐と伊邪那美は淤能碁呂島で結婚し、大八島国(オオヤシマクニ)という八つの国々と、たくさんの神々を生み出しました。大八島国は以下の順で生まれました。
1.淡道之穂之狭別島(アワジノホノサワケノシマ)
2.伊予之二名島(イヨノフタナノシマ)
3.隠伎之三子島(オキノミツゴノシマ)
4.筑紫島(ツクシノシマ)
5.伊岐島(イキノシマ)
6.津島(ツシマ)
7.佐渡島(サドノシマ)
8.大倭豊秋津島(オホヤマトトヨアキヅシマ)
1番目の淡道之穂之狭別島は淡路島、2番目の伊予之二名島 は四国、3番目の隠伎之三子島は隠岐の島、4番目の筑紫島は九州、5番目の伊岐島は壱岐島、6番目の津島は対馬、7番目の佐渡島は佐渡島、8番目の大倭豊秋津島は本州です。
8番目に生み出された大倭豊秋津島は、別の名を天御虚空豊秋根別(アマツミソラトヨアキヅネワケ)といいます。これは本州とされていますが、当時は本州全土を指したのでなく、大和や畿内、つまり天皇のおられる場所を象徴したものだったと考えられています。天御虚空(アマツミソラ)の天(アマ)は皇孫につけられる美称(褒め称えること)として使われています。
5番目に生み出された伊岐島の壱岐島は、別の名を天比登都柱(アメノヒトツハシラ)といいます。これは「天一つ柱」とも表され、現在の長崎県の壱岐島が離れた孤島であることに基づいて命名されています。また、島を柱に喩えているのは、島を神の依代と見立てていたためと考えられます。
7番目の佐渡島(サドノシマ)はその名の通り、現在の新潟県の佐渡島(さどがしま)です。佐渡(サド)という島名の語源については、サが「狭」、ドが「門」で、「狭門」の意と考えられています。
伊邪那岐と伊邪那美は、大八島国という八つの国々を生んだ後、それに付随するものとして、六つの小さな島々を生みました。
1.吉備児島(キビノコノシマ)、建日方別(タケヒカタワケ)
2.小豆島(アヅキシマ)、大野手比売(オホノデヒメ)
3.大島(オホシマ)、大多麻流別(オホタマルワケ)
4.女島(ヒメシマ)、天一根(アメノヒトツネ)
5.知訶島(チカノシマ)、天之忍男(アメノオシヲ)
6.両児島(フタゴノシマ)、天両屋(アメノフタヤ)
吉備児島(キビノコノシマ)は、別の名を建日方別(タケヒカタワケ)といいます。現在の岡山県の児島半島とされていて、干拓が進められる16世紀から17世紀までは瀬戸内海に浮かぶ島でした。
大島は、別の名を大多麻流別(オホタマルワケ)といいます。山口県大島郡大島町の屋代島とされていて、多麻流(タマル)には溜まるという意味があり、水がふんだんに溜まる湾のようすをあらわしたものとされています。
知訶島は、別の名を天之忍男(アメノオシヲ)といいます。長崎県の五島列島とされていて、忍男(オシヲ)には押す力のある(威力のある)男という意味があり、国土の西端で大陸との交通や国防上の要衝であったことから、政治的に重要視されていたために国生み段にて誕生が記されているといわれています。
両児島は、別の名を天両屋(アメノフタヤ)といいます。こちらは長崎県の五島列島の南にある女島と男島、あるいは熊本県天草市の上島と下島という説があります。
このように、八つの国と六つの島が生み出され、日本という国が完成しました。ありとあらゆるものが神々から生み出されたことに、日本という国の神秘性をあらためて感じます。