
こんばんは、おごし志保です。
先にある不安に対して
「だいじょぶ」と思うことがあって
その言葉に、完璧な根拠はないけど
確信もしてて
「困難」のレベルがどのくらいか?は
あまり関係ないのよね。
根拠がないと
なんか、不確か様な感じもするけれど
根拠で解明、改善できることと
そうでないことがあるからさ。
よは、根拠があっても、なくても
「何があっても大丈夫」という
大きなくくりでの自分への信頼が
「だいじょぶ」な現実を創っていく様に思えてならない。
先日、娘が肌を痒がって、皮膚科へ行って
薬局で薬をもらいに行ったんです。
なんと、薬をもらうのは4年振りだったみたいで
「えーーーっ!」と、イナバウワー並に
反り返るほどの驚きだったんです。
というのは
双子が小さい頃は
1人が風邪をひいて、治ったら
もう一人にうつってと、双子リレーがはじまるわけで
おんぶに抱っこで
週4回とか普通に病院通いしていたな。
そういえば。
周りのみなさんから
「双子だと大変ですね」なんて
あったかい声をかけてもらったりもしたけど
当の本人的には
起きた現実に対処するだけやん!と
ケロッと淡々!なのでありました。
まぁ、あれこれ考えたり
感情に浸ってる余裕なんて
なかったかもしれないね。
何が起こるか?なんて
「何が」のパターンは無数にあって
計り知れないわけで
人って、何が起こり様とも
結局、どうにかしすると思うんです。
何とかなってきた!のではなく
何とかしてきた!のです。
自分が思い描いたものではなかったとしても
乗り越えてきたからこそ
今、自分は生きているわけで
生きてこられたわけで
その底力、その実績は
この先も何があっても大丈夫!という
自分への信頼に値すると思いませんか?
自分が思いつく危機範囲で
手を打っておくことは必要かもしれないが
結局のところ
起きてきた現実に向かい続けるしかない。
これまでと同じように。
これまでもそうだったらこれからも・・ではなく
向かい続ける力が、人にはすでに備わっている。
自覚しているか?どうか?
発揮するか?どうか?
活かすか?どうか?
その違いだけの様に思います。