先日のお茶会 【開催レポ】ピン!からゴー!ランチ会~自分の可能性の巻 での
「涙の理由」のご紹介です。
なんとなく話題になった「子どもの反抗期」。
参加者のおひとりAさんは、みんなの話を聴いて、
「自分だけではなかったんだ。なーんだ、みんなもそうだったんだ。」
・・・と、笑顔でお話されていました。
その時、私がお伝えしたのは・・
「自分だけではなかった!みんなもそうだった!」は、自分を安心させてくれるし、その安心は心の余裕をもたらして、相手や状況を受け取る器を大きくしてくれたりするよね。
それはそれで、たしかに意義はあるは思う。
ただ、根本的な解決!という意味では何も変わっていないことが多いかもしれなくて
また不安になったり苛立ちが起こることが繰り返される可能性を秘めているかも。
そんな時、ちょっと観れたらいいな!と思うのは・・
自分は、子どもが反抗している姿を見て、何かのどこかの部分がくすぐられているから、苛立ったり、困惑したりするわけで
同じように、反抗する子どもも、何かのどこかがくすぐられて、その行動を引き起こしているかもしれなくて
自分の感情をちょっと横に置いて
だとしたら「どこなんだとう?」という観点で「相手を観察」してみることが大切だと思う。」
Aさんは「ハッ!」とした表情で、思い当たることをお話してくれました。
「小学5年生の息子が、いつからか?ヘッドフォンをしてゲームばかりしていて、あえて何も言わなかったけど、いつもいつも「えーっ?またゲーム!?!?」と、思っていた。
今のお話を聴いて思ったのは・・
もしかしたら、お姉ちゃん、リビングで勉強してるから、息子はいつものように走ったり、テレビ見たりできなかったのかもしれない。
中学3年のお姉ちゃんの期末テストの勉強を気遣ってのことかもしれない。」
Aさんは、涙されていました。
私がお伝えさせていただいたのは・・
「もし、みんなも同じだから!反抗期はあるものだから!のように「ひとくくりにまとめた目」は、目の前にあるものに観えなくしてしまう。
実はね・・、「相手に何が起こっているんだろう?」の観察のポイントは、明確な答えが見つかるか?どうか?ではなく
私はあなたを解りたい!という「相手に寄り添う気持ち」なんだと思う。
今のAさんのようにね
」
Aさんは
「どう観るか?で、こんなに違うなんて、凄い!ほんとに凄い!!」
涙を拭いながら満面の笑みを浮かべておられました![]()