昨日、こんな出来事がありました。
帰宅した息子(小学2年生)が「聴いて!聴いて!」と、駆け寄ってきました。
どうしたの?と、聴いてみると。
「今日、すっっごくムカついた!」って、ぷりぷりプンプン模様。
(母の心の声 : 小学2年生でムカついた!の言葉遣い、どーよっ!ま、ココは横に置くことにして、まず聴くことにしよう!)
引き続き、聴いてみたところ
息子 : 「だってさー、今日、学力テストの問題、あてはまるところに〇をつけなさい・・って!」
わたし : 「うんうん」
(母の心の声 : 「で?」)
息子 : 「つけなさい!って、命令するんだよーーっ!もーーーーっ。」
と、ぷりぷりプンプン。
わたし : 「そっか、そっか。」
(母の心の声 : 息子よ、そう来たかっ!面白すぎるぜっ!!)
つまり、何を言いたいかというと
物事を見る眼を「正しいか?どうか?」から「面白がる!」で観た方が、人生が軽やかに楽しくなると思うのです。
楽しいの「楽」は「ラク」とも読みます。
面白がる!に欠かせない要素でダントツなのが、好奇心。
実は、この好奇心というやつは、面白さを膨らませるだけにとどまらず、許容をも生み出します。
例えば、それ違うでしょ!ありえない!許せない!と、思う相手がいたとしましょう。
その「それ違うでしょ!ありえない!許せない!」を、「面白がる」に変換してみたら
「へぇ~、こういう人もいるんだな。」へ、変化するかもしれません。
感情というやつは湧いてくるものですし、怒りは怒りのままでOK!
相手にぶつけるか?どうか?は別としても、抑えるものでもなく、怒りは怒りとして大切な感情でもあります。
自分が大切にしているものを守りたい!という感情の現れかもしれませんし。
ただ、怒りという感情は、自分を自分ではないものにする要素があって、時には、否応なく自分をかき乱しりまくりもします。
今日は、相手がどうだ?ではなく、自分に優しいデザインという観点からお話してみました。
楽しいの「楽」の字は、「楽(ラク)」とも読みます。
ドラえもんに「なんでも面白がりコンタクトレンズ」を、出してもらって、つけたつもりで、世の中を、面白がる眼で観てみませんか?
今より自分を楽(ラク)に生きさせてあげたい方におススメです
