幼い頃からお月様が大好きで、娘の名前に「月」を入れました。
お月様を見ると優しい気持ちになります。
おっと、娘に対しては、いつも優しい気持ちとは限りませんが(懺悔付き(笑))
どうやら今日は「上弦の月」とかで
なんと!なんと!今年最大の大きさ!のようです。
上弦の月は、まん丸ではない欠けた月。
さまざまな説があるようですが
無から有への変換!
というエネルギッシュな意味合いもあるようです。
ここで、ひとつ質問ですが
あなたは欠けた月を見た時に、残念に思ったことはありますか?
え?残念??月を見て残念って??なにそれ???????
と、思ったあなた!!!
欠けた月を見たとき
欠けていることを残念に思うことはないのに
なのに、自分のことだと
欠けている=足りない=自分はだめだ
という図式に占領されて、マイナスのイメージが起こりがち。
自分の願いが叶った状態、自分の理想の状態がまん丸だとしたら
欠けている状態は、まん丸に向かっている途中の段階で、今は足りていない状態で、これから補っていくだけの話なのです。
なのにですよ・・
これから補う部分を膨張させて
自分のすべてが足りないような、今の自分がダメダメのように思えて、自分にダメ出しをしてしまいがちです。
自分へのダメ出しは、自分だけにとどまることなく
もしかしたら、知らないうちに、気づかないうちに、相手のことも同じように見て、同じように接しているかもしれません。
人はそんなに器用ではないと思うから
自分にはこうだけど、相手にああ!なんてことは、難しいと思うのです。
例えば、相手を叱る時、渦中の出来事そのもを超えに超えて
あなたはいつもそうだから・・
あなたのこんなことろもあんなところも問題で・・
終いには、あなたはそういう人だからこうなるんだ!的なことを言ったことはありませんか?
そして、言われことは、ありませんか?
(勝手ながら、言われたことがあったとして・・として進みますが)
その時のあなたは、めちゃくちゃ落ち込んで
そこまで言われるわけ?なんの関係があるわけ?と、疑問に思いながらも
自分そのものを全否定された感覚というダメージに覆われます。
「ここが足りてない」という事実が、「自分が欠けている」に膨張した時
力を奪われ、可能性を削られ、未来を見失います。
それを、自分に向かってやっていませんか?
あなたが「足りてない」思うことは、その部分が足りていないだけで
あなたそのものが、あなたのすべてが、欠けているわけではないのです。
補いたい部分はどこか?
補うにはどうしたらいいか?
それを補っていく!だけの話なのです。
無から有への変換!というこの機会に
あなたというまん丸の存在に気づいてあげませんか?

