【バス乗継旅】紋別ターミナルから稚内駅まで 4 | バスと献血のたび

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大阪からバスを乗り継いで遠くまで行きたいです。
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札幌駅から路線バスを乗り継ぎ、2019年11月に紋別ターミナル(北海道紋別市)に達しました。

今回はその続き。紋別ターミナルからJR稚内駅(北海道稚内市)までのバス乗継旅、第四話です。

・札幌をスタートしたときの記事はこちら ⇒ [リンク]  

・前回のお話(枝幸ターミナル⇒浜頓別ターミナル)はこちら ⇒ [リンク]

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紋別から稚内へのバス乗り継ぎ旅。二日目は枝幸(えさし)を出発し、浜頓別(はまとんべつ)にやってきました。

浜頓別のバスターミナルは浜頓別駅(1989年廃止)の跡地にあり、道の駅との複合施設となっています。
 
この施設内は寝泊まり禁止のようです。この張り紙をしばらく眺めている私。ここで寝ようとしているわけではありません。昔はお金をかけずに旅行している人が駅舎の中や軒下で寝ていまして、その風景を思い出して懐かしく感じておりました。「駅寝」と呼んでたと思います。私も若い頃に北海道で駅寝したことがあるんですよ。
 

さて、浜頓別から乗るのは宗谷バスの天北宗谷岬線。ここ浜頓別から猿払村の鬼志別(おにしべつ)、を経由して稚内に至る路線です。途中、日本最北のバス停「宗谷岬」も経由します。走行距離は100キロを超え、日本の一般道を走る路線バスのなかではかなりのロングラン路線といえます。

 

そんな天北宗谷岬線ですが、先月(2023年9月)まではもっと長い距離を走っていました。音威子府から稚内までの路線だったのです。今月(2023年10月)からは上の写真にあるように、浜頓別~音威子府間がデマンドバスに転換されました。
 

天北宗谷岬線は、1989年に廃止されたJR天北線の代替バス路線として開設されたものです。鉄道の維持が難しくなってバスへ転換されたのに、そのバス路線さえ別のものに転換されてしまう時代なのですね。
 

浜頓別発の天北宗谷岬線は1日4本あります。2本が稚内行、あとの2本が鬼志別止まりです。これから乗るのは8時50分発の稚内行です。

 

バスターミナルの窓口で切符を買います。車内の運賃箱に運賃を入れてもいいのですが、切符を買って一般路線バスに乗ることなんてめったにないものですから。

 

▲こちらが切符です。窓口の方は、鬼志別ターミナルで約30分停車することも案内してくださいました。

 


このバスで稚内まで約3時間。

 

2023年10月15日(日)

浜頓別ターミナル 08:50

↓ 宗谷バス

↓ 天北宗谷岬線

↓ 稚内駅前ターミナル行

↓ 2220円

市役所前 11:57

 

 

今回もバス最後列の席に座ります。最後列中央の席には、使用しないようにとの張り紙がしてあります。急停車したときに前方へ転倒しやすいためでしょう。昨日の雄武線ではこのシートを外してありましたが、その意味がここで分かりました!

JR北海道の特急に乗ると

「この先、エゾシカなどの野生動物が多数出没する区間を走行いたします。走行中やむを得ず急ブレーキを使用することがありますので、お立ちの際は手摺りなどにおつかまりください」

という車内放送を流していますが、それと同じ注意をしないといけないわけです。

 

バスの乗客は私のほかに年配の女性が一人。鬼志別まで行くそうです。

バスは国道275号を東へ進み、大通3丁目で左折。ここからは国道238号です。浜頓別の市街地を出て、山軽(やまがる)を過ぎると長い直線道路になります。

 

猿払(さるふつ)村に入りました。北海道(北方領土を除く)で最も面積の広い村です。ホタテの一大生産地で、平均所得の高い村としても知られています。

 

厳密には国道の左側はまだ浜頓別町。クッチャロ湖の小沼が見えます。

 

右も左も牧草地ですね。このあたりは浅茅野台地とよばれるところで、海岸線からは2~3キロ離れています。

 

飛行場前というバス停を通過します。ここには昔、JR天北線の飛行場前駅がありましたので、駅名が廃止代替バスのバス停名称に引き継がれているわけです。


飛行場前という名称は旧陸軍浅茅野飛行場(1945年閉鎖)に由来しているそうですが、駅ができたのは飛行場閉鎖後の1955年なんだそうです。
 

浅茅野で一人乗車。ここからは北上しながら海に近づきます。浜猿払市街地最寄りの交差点でバスは左折し、国道238号を離れます。道道「猿払停車場線」を4キロほど進むと猿払バス停。

猿払駅の跡地に広場を設け、そこにバス停が設置されています。村の名前と同名の駅(バス停)ですが、人家はとても少ないです。猿払駅は浜猿払の人のために設置され、さきほど通った道道「猿払停車場線」が市街地と駅を結ぶアクセス道路だったのでしょう。JR天北線代替バスはその点を考慮し、浜猿払と猿払の両方を経由しているのだと思います。

 

猿払からは道道1089号猿払鬼志別線を走ります。4桁の都道府県道って北海道にしかないんじゃないですかね。この道道はJR天北線の廃線跡に敷設された道路でして、猿払駅跡と鬼志別駅跡を結んでいます。やや内陸を走っているのにカーブが緩やかで、坂もあまりありません。右手にポロ沼、左手にキモマ沼が見えます。JR天北線があったころ、車窓からもこの二つの沼が見えていたんでしょうね。

4キロほど進んだところで道道から離れ、並行する道を進むと芦野バス停です。バス停は交差点角の転回場のような場所に設置されていて、バスはここでぐるりと転回し、来た道を戻ります。JR天北線には芦野駅がありましたが、その跡地はバス停から少し離れているようです。

 

バスはこのあと海の方向へ向かって走り、猿骨(さるこつ)からは国道238号を走ります。右手にはオホーツク海。
道の駅がありますね。飲食、売店のほか、宿泊施設、入浴施設もあります。

ここにはインディギルカ号遭難者慰霊碑もあります。1939年、旧ソ連の貨客船インディギルカ号が猿払村の沖で座礁、沈没しました。SOS信号の発出を受け、稚内港から船が出て乗員・乗客の救助をおこないました。また、猿払村の岸に流れ着いた人もいたことから、村民が総出で救助に当たったそうです。私が昔、北海道旅行でここを通ったときは日ソ友好記念館があったのですが、いまは無くなっています。

 

バスは浜鬼志別の市街地に入ります。浜頓別もそうでしたが、大きなお家が多いです。浅茅野から乗ってきた方が浜鬼志別バス停で下車。バスはその先で左折し、道道138号豊富猿払線を走ります。

浜頓別から一緒に乗った方は国保病院で下車しました。ご家族が猿払村国民健康保険病院に入院されているのかもしれません。

9時47分、バスは鬼志別ターミナルに到着。ここでしばらく休憩します。発車は10時20分。

 

紋別、雄武、枝幸、浜頓別、鬼志別と巡ってきました。どの町も鉄道駅のあった場所が今もなお交通の中心になっています。

 

 

(訪問日2023/10/15)

 

 

【つづく】

 

 

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