大阪から路線バスを乗り継ぎ、2015年9月に敦賀駅に達しました。
今回はその続き。敦賀駅から武生駅までのバス乗継旅、第一話です。
・大阪をスタートしたときの記事はこちら ⇒ [リンク]
・前回のお話(宮前橋→白銀町)はこちら ⇒ [リンク]
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大阪からJRで敦賀に向かうと敦賀駅到着前に昆布加工販売の会社が見えます。
600年前に京都の商人によって蝦夷地の昆布が敦賀まで運ばれ、琵琶湖を渡って京都や大阪へ届けられたのが、敦賀港が廻船にかかわる始まりだと言われています。
江戸時代になって近江商人の活躍により敦賀は北前船の重要な港町として位置づけられます。松前藩が扱う産品のなかで昆布は特に重要な地位を占め、京都大阪で大量消費されるに従い、敦賀が昆布の加工地として発展してきたそうです。
昆布の産地といえば、前々回のバス乗り継ぎ旅で北海道の日高地方を旅しました。調べてみたら、様似での昆布フォーラムで敦賀の昆布屋さんが講演をするくらい、日高と敦賀は昆布を通じて交流があるそうです。
敦賀に着きました。
前回来たときは駅舎も駅舎も駅前広場も工事中でしたが、今年の国体を前に綺麗になりました。
2022年には北陸新幹線が敦賀まで延伸され、大阪延伸までの20数年間は新幹線終着駅として観光旅行やビジネスで利用する人々が往来することになります。
駅前に全国チェーンのビジネスホテルが建ち並んでいますが、駅舎に一番近いところに昔ながらの駅前旅館が健在なのが嬉しいですね。新幹線延伸後も健在でいてほしいです!
今日のバス乗り継ぎ旅で目指すのは武生です。
敦賀と嶺北を結ぶバスが無く、どうしようか悩んでいたのですが、無理なく歩けるコースがあることに気づき、実行することになりました。
ちなみに冬季には越前海岸の旅館が仕立てている有料送迎バス『越前海岸直行シャトルバス』があるのは知っていたのですが、蟹に興味がないのにバスを使って泊まりに行くのも変ですから、それはしませんでした(笑)
2018年5月16日(水)
敦賀駅 11:30
↓ 敦賀市コミュニティバス 松原線
↓ 松葉町行き 200円
神楽町 11:36
敦賀市コミュニティバスは敦賀海陸運輸が運行する路線と福井鉄道が運行する路線とに分かれています。市町村のコミュニティバスで複数社に運行を委託する形態は珍しいですね。今回乗るバスは福井鉄道が担当しています。
バス乗り場の屋根が頑丈そうに見えます。もしかして豪雪地帯仕様?
駅正面に立っている都怒我阿羅斯等の像に見送られて出発!
作業服を着た人たちがこの像を集合場所にしているようです。でも大半の人は集合場所に指定されるまで、この像の存在を知らなかったようで、
「そんな銅像あったか?」
「わ!ホンマにある!!」
「これ誰や?」
とか言っています(笑)
ツヌガアラシトは日本書紀に出てくる人物で、朝鮮半島から来たと伝わっています。敦賀の地名の由来でもあるとか。名前が言いにくいので個人的にツヌタンと命名!
乗客は私を含めて2人です。
バスは駅前通りを北上し、白銀交差点を右折。ここで4人乗車します。アルプラザで買い物した帰りなのでしょう。
このあと国道8号を北上します。夜になると屋台のラーメン屋さんが並ぶ通りです。そのあと北陸道総鎮守として有名な気比神宮を右手に見ながら左折します。
市内の中心といえそうな神楽町で下車します。降りたのは私だけ。
ここにはアクアトムがあります。
ここはもともと日本原子力開発機構のPR施設でした。福島の原発事故後の2012年に民主党政権の事業仕分けで無駄と指摘され、同年閉館。その後、敦賀市と福井県に譲渡されて子供の遊具を置いた施設「キッズパークつるが」に生まれ変わりました。市の観光協会もここに移転しています。
キッズパーク敦賀は定休日で休みでした。
2階と3階には福井県や原子力関係の施設が入居していますね。
3階の日本原子力開発機構では高速増殖炉もんじゅの廃止措置をパネルで説明しています。
担当の方の顔写真付きパネルもあり、事業にかける思いもよく伝わってきました。
ここでは民間企業を対象にした技術相談も受け付けているそうです。各県にある産業研究所とはまた違ったアプローチで技術課題が解決そうだなと思いました。
専用エレベータで展望室に行ってみます。
平日なので私ひとり。貸し切り状態です。
東の方には気比神宮、北には金ケ崎城址と敦賀湾がよく見えます。敦賀が湾奥部の天然の良港であることがよく分かります。
ここで次に乗るバスを電話予約します。次に乗る敦賀市コミュニティバス東浦線の第13便は1時間前に電話予約しないと運行されないんです。
敦賀海陸運輸に電話をかけ、乗車地、目的地、人数、名前、電話番号を伝えます。親切なことに帰りのバス利用についても聞かれました。
アクアトムを出てお昼を食べます。
ミーハーですが、お昼はヨーロッパ軒のソースカツ丼です。今回はミックス丼をいただきました。
食後に向かったのが敦賀市立博物館。建物は旧大和田銀行本店です。昭和初期を代表する銀行建築で国の重要文化財に指定されています。とても重厚な造りで、国際貿易港である敦賀に富が集まっていたことを象徴しています。当初からエレベーター完備(北陸初!)だったのも驚きです。
1階は銀行の店舗だった時の姿を残してあります。
この建物でユニークなのは3階の公会堂と地下1階の食堂でしょう。
3階の公会堂(集会場)は舞台を持つ大広間になっていて、一般に無料貸し出しされていたそうです。
地下は本格的な西洋料理を出すレストランだったそうです。
銀行業務だけでなく街のパブリックスペースとしての機能も備えた建物だったんですね。
銀行設立者である大和田荘七の像が博物館東隣に立っています。俳優の大和田伸也さん、大和田獏さんは子孫にあたるそうです。
博物館の次は旧敦賀港駅舎へ。
敦賀港駅は東京の新橋駅から敦賀港、ウラジオストク、シベリア鉄道経由でヨーロッパに至る欧亜国際連絡列車の重要な途中駅でした。今この建物は敦賀鉄道資料館として敦賀の鉄道の歴史を説明したパネルや関連品を展示しています。昭和5年の時刻表がパネル展示されていましたので、東京からベルリンまでの列車時刻をなぞってみました。当時、ウラジオストクは漢字で浦塩を書かれていたんですね。
現在の敦賀港(つるがみなと)駅はJR貨物の駅として金ケ崎城址の南側にあり、トラック便のみが運行されています。
人道の港敦賀ムゼウムにも寄ってみました。
杉浦千畝の「命のビザ」を手にユダヤ難民6000人が上陸した港がここ敦賀です。敦賀の少年がユダヤ人難民にリンゴをプレゼントした話や、銭湯が難民に無料開放した話などが紹介されています。
命のビザの話は有名ですが、その前に敦賀が「人道の港」として歴史に刻まれた出来事があります。ロシア革命のシベリアで家族を失ったポーランド孤児の救済です。日本赤十字社の救済活動でポーランド孤児763人が上陸した地が敦賀港なんです。彼らは上陸してから大阪に向かうまでの1日しか敦賀にいませんでしたが、滞在中に市民は差し入れをするなど暖かい手を差し伸べたそうです。
日本書紀から原子力まで、各時代の出来事に関わってきた敦賀。観光しながらいろんなことが学べる町であり、いろんな課題について考える機会を与えてくれる町です。
新名所の赤レンガ倉庫にも行きたかったのですが、バスの時間が迫ってきました。急ぎ足でバス停に向かいます!
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