大阪から路線バスを乗り継ぎ、2016年6月に南海高野山駅(和歌山県高野町)に達しました。今回はその続き。高野山から五条駅(奈良県五條市)までのバス乗継旅、第一話です。
・大阪をスタートしたときの記事はこちら ⇒ [リンク]
・前回のお話(女人堂→高野山駅前)はこちら ⇒ [リンク]
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特急こうや号とケーブルを乗り継いで高野山にやってきました。今回も妻と2人です。
駅舎は南海電車の駅によくあるレトロな洋風建築なのですが、屋根は宝珠が載っていて寺院風です。面白いですね。
今日最初に乗るバスは奥の院前行きです。
2017年8月28日(月)
高野山駅前 10:21
↓ 南海りんかんバス 高野山内線
↓ [22]奥の院前行き 330円
奥の院口 10:35
平日であるにもかかわらず、バスは満席です。さすが世界遺産!
ケーブルカーからの乗り換え客が乗車するのに時間を要し、6分遅れで発車します。
駅前から女人堂までは南海電鉄の専用道路。一般車両は走っていません。そして女人堂からは高野山の町に入ります。
高野山は平安時代に空海が密教の修行の場として開きました。山上盆地に宗教都市が形成されています。町全体が金剛峯寺の境内であり、その中に117か所の塔頭寺院があります。寺院だけでなく銀行、商店、学校などもあります。
街の中心にあたる千手院橋で約半数の人が下車。降りた方々は檀上伽藍に向かうのでしょう。
電車で来るとわかりにくいのですが、徒歩しかなかった時代の高野山参りは大門~檀上伽藍~奥の院という順で巡るようになっていました。私も昨年のバス乗り継ぎ旅で花園から大門経由で高野山に入ってきて、このルートの方がこの巨大な仏教寺院の姿が捉えやすいなと感じました。
バス停横に一の橋という橋がかかっています。ここから歩いて弘法大師御廟にお参りします。御廟までの距離は約2キロ。
参道の両側には立派な杉の木がそびえ立っています。
高さ50メートルの巨木もあるそうです。
そして参道には多くのお墓や供養塔が並んでいます。
目立つのは100を超える大名家のお墓。薩摩島津藩、岡山池田藩などなど…
武田信玄、上杉謙信、石田三成、織田信長など戦国時代の武将のお墓もあります。
日産自動車、パナソニック、久保田、森下仁丹、UCC、等々…
ちなみに私の勤務先の供養塔もあります。
海外の人はこういう供養塔の意味を理解できるのでしょうかね?
人だけでなくシロアリやフグなども供養されています。
これだけ多くのお墓が集まるというのは、弘法大師と一緒にいたいという気持ちの表れだと思っていたのですが、先日のブラタモリで本当の意味を知りました。
お釈迦様の入滅から56億7千万年後に弥勒菩薩がこの世の三か所に現れ、その一つが高野山なのだそうです。そのときに弘法大師も姿を見せ、弥勒菩薩と人々との間に立って通訳してくれるというのです。みんなそのときまでここで待っているんですね。法然上人や親鸞聖人の供養塔まであるというのも納得できました。
弘法大師御廟にお参りし、帰りは別の道を約1キロ歩いて奥の院前バス停(奥の院口とは別なので注意)に着きました。
午後はここから南下します。
(2017/8/28)
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