横浜市 林文子市政下の子どもたち 2018 | 不可能をかのうにする かのう重雄 オフィシャルブログ「一つ、ひとつを重ねて」 Powered by Ameba

横浜市 林文子市政下の子どもたち 2018

横浜市林文子市政下の子どもたち 2018

 

横浜市 林文子市長といえば、20134月1日に待機児童ゼロを達成したと、全国に発信したことで知られている。カリスマ経営者という称賛の報道もあったが、その直後に、その算定方法が疑問視されていたことがとても印象的であった。

http://www.sankei.com/life/news/130521/lif1305210029-n1.html

https://dot.asahi.com/aera/2013070100016.html

 

林市長は、待機児童ゼロ実現を契機に「しなやかな仕事術」という本を発刊している。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000071.000005007.html

 

また、第2回目の当選後すぐに林市長はカジノ推進を打ち出した。2014年、横浜市という大都市の環境下におかれる子どもたちの将来を危惧し、私としてはカジノ推進には疑問視したのでこのブログでも言及させて頂いた。

https://ameblo.jp/shigeo-kanou/entry-11961876288.html

 

実際、林市長就任後、市は認可保育園を436園(10年春)から938園(17年春)に増やし、受け皿を確実に広げてきた。市長の政策を実行するために横浜市は、待機児童対策の一環として認可基準を緩和した。

 

したがって「園庭なし」も珍しくなくなった。結局、その裏で「保育の質」を巡る戸惑いや不安の声は絶えない結果となった。横浜市では質の担保は運営者に委ねられているのが現状だ。

https://mainichi.jp/articles/20170715/ddl/k14/010/116000c

 

2013年以来、横浜市が発表する待機児童数に関して、報道関係者から疑問視され繰り返し言及されてきた背景がある。しかし、算定方式をこの4年間、変更することはなかった。

 

また、厚労省が去年3月「復職の意思があれば待機児童に含める」と、新定義を公表したが、横浜市は新定義を使用せず待機児童数は2人と発表している。

 

一方、「保留児童」は3259人もいて、認可保育所は依然不足していると東京新聞に去年の4月に報道されている。

www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201704/CK2017042602000182.html

 

結局、横浜市が新定義で待機児童数を計算したのは、林市長の第3回目の当選後のことである。1877人と新定義で大幅増となった。

https://mainichi.jp/articles/20171202/ddm/012/100/038000c

https://www.asahi.com/articles/ASKD15J65KD1ULOB01H.html

 

この姿勢は、選挙で推薦したものの、非常に残念に思った。そしてさらに、残念なことが読売新聞の調査で明らかとなった。

 

それは、2018年1月に入ってから報道された。国は児童福祉法に基づき、自治体原則、年1回以上の立ち入りを求めている。

 

2013年、待機児童対策ゼロを達成した横浜市長のもとで、保育の質の維持という新たな課題に取り組む姿勢を示したはずである。また横浜市は、急激な保育園増設に質の担保を疑問視されてきたはずである。

http://www.kanaloco.jp/article/61133

 

ところが、この調査で横浜市が保育施設立ち入りを100%、行っていないことが示されていた。これにはさすがに驚くとともに非常に危機感をおぼえた。

 

ここにも郷原氏が言及していた林市政下のコンプライアンス劣化が認められる。

http://spe.yomiuri.co.jp/servlet/view?PAGE_ID=00018911&NEWS_ID=x3wTsFRJ9b_&GROUP_ID=00000018

https://ameblo.jp/shigeo-kanou/entry-12311701760.html

 

また、林市長は子宮頸がんワクチン副反応の援助に関しても、国の援助がまだ始まっていない中で、早急に打ち切っている。副反応を訴えているのは殆どが子どもたちのはずである。

https://ameblo.jp/shigeo-kanou/entry-12049741319.html

 

林市長には、子どもに関わる仕事に関して、もっと丁寧に誠意をもって行ってもらいたいと思う。