スタジオシフト代表の深澤竜也です。
いよいよ統一地方選の後半が始まりましたね。
あちらこちらで声が上がっているのが聞こえます。
私は早朝に妻のお墓までジョギングし、

その帰り道に友人の出陣式に出席してきました。

まずは自分の足下を固め活性化させて、支援を行なう。
自分が元気でないと、被災地を元気にできませんからね。
さて昨日はポストカードを買ってきました。

漫画家、井上雄彦さん...『SLAM DUNK』や『バガボンド』で知ってる方も多いはず。
私はTwitterで井上さんをフォローしているのですが、震災の翌日12日のお昼前ぐらいからでしたか・・・
「Smile」という名でイラストをどんどんアップしだしたのです。
被災地への彼の祈りのなのでしょう。
Twitterに投稿されていた「Smile」は、震災以前から続けれていたものです
しかし「Smile34」からその意義は震災に変わりました。
被災された方や救助救援、様々な支援活動を行なってる方・・・
そんな方々への彼のsmileは現在137作品にまで上っています。
著作権の関係で掲載できないのが残念ですが、47都道府県のバスケ少年少女達のイラストが、身体の芯に力を与えてくれます。
井上雄彦さんの画像はこちらです。
そしてBEAMSでは、そのデザインを利用した復興支援のTシャツを作っています。
BEEAMS
いよいよ統一地方選の後半が始まりましたね。
あちらこちらで声が上がっているのが聞こえます。
私は早朝に妻のお墓までジョギングし、

その帰り道に友人の出陣式に出席してきました。

まずは自分の足下を固め活性化させて、支援を行なう。
自分が元気でないと、被災地を元気にできませんからね。
さて昨日はポストカードを買ってきました。

漫画家、井上雄彦さん...『SLAM DUNK』や『バガボンド』で知ってる方も多いはず。
私はTwitterで井上さんをフォローしているのですが、震災の翌日12日のお昼前ぐらいからでしたか・・・
「Smile」という名でイラストをどんどんアップしだしたのです。
被災地への彼の祈りのなのでしょう。
Twitterに投稿されていた「Smile」は、震災以前から続けれていたものです
しかし「Smile34」からその意義は震災に変わりました。
被災された方や救助救援、様々な支援活動を行なってる方・・・
そんな方々への彼のsmileは現在137作品にまで上っています。
著作権の関係で掲載できないのが残念ですが、47都道府県のバスケ少年少女達のイラストが、身体の芯に力を与えてくれます。
井上雄彦さんの画像はこちらです。
そしてBEAMSでは、そのデザインを利用した復興支援のTシャツを作っています。
BEEAMS
スタジオシフト代表の深澤竜也です。
今日は良い天気になってますね。
これから下り坂になるとのこと・・・もう少し粘ってほしいな、せめて明日まで!
今朝は気分が良かったので、10キロほどジョギングしてきました。

甲府の駅からすぐのところにある「舞鶴城公園」
山梨以外の方は武田信玄の城と思えわれてるかもしれませんが・・・武田家滅亡の後に築城されたものです。
1582年、甲斐の国(山梨)は武田氏の滅亡後、まず織田信長の領国となり、本能寺の変の後は徳川家康の支配するところとなりました。
しかし、豊臣秀吉が天下統一をなしとげると、秀吉の命令により加藤光泰らによって築城が始められ、
浅野長政・幸長父子によって完成をみました。
1600年の関ヶ原の戦い以降は再び徳川の城となり、幕末まで存続しました。
現在では、甲府人の憩いの場になっています。
私もこの地域で生まれ育ちました。
この石垣は、小学校の頃の私達には、度胸試しの場所だった。
大学以降は東京に居たものの、また甲府に戻り、現在でも休日などは散歩やジョギングを楽しんでいます。
そして昨年再開発された甲府駅北口。
武田神社にあった「藤村記念館」が移設改修をされています。

中学時代は、武田神社にあった藤村記念館で探検をしたものです。
今は綺麗になって、とても探検どころではありませんが・・・。
藤村記念館は、明治8年に巨摩郡睦沢村(現在の甲斐市亀沢)に睦沢学校校舎として建てられたものです。
昭和32年までは学校の校舎として、その後昭和36年まで公民館として活用されてきました。
昭和41年、武田神社境内に移築復元され甲府市に寄贈されたものです。
翌昭和42年には国指定の重要文化財となり、
昭和44年から郷土の民俗・歴史・教育・考古資料の展示館として長らく親しまれています。
そして昨年の平成22年10月1日、甲府駅北口に移転し、交流ガイダンス施設として新たに開館しました。
この建物の様式は、山梨県令藤村紫朗が積極的に奨励したとされる擬洋風建築であり、
明治初期から中期にかけ多くの官公舎、学校、商家がこのような様式で建てられました。
県内では、藤村紫朗にちなみ、藤村式建築と呼ばれています。
皆さん、ぜひぜひ山梨までおこしください。
p.s.
このブログは実名を公表しているので、昨日は懐かしい小学校の同級生から連絡をいただきました。
facebookやTwitterでも実名を出しているのだけど、mixiとは違った楽しみ方がありますね。
今日は良い天気になってますね。
これから下り坂になるとのこと・・・もう少し粘ってほしいな、せめて明日まで!
今朝は気分が良かったので、10キロほどジョギングしてきました。

甲府の駅からすぐのところにある「舞鶴城公園」
山梨以外の方は武田信玄の城と思えわれてるかもしれませんが・・・武田家滅亡の後に築城されたものです。
1582年、甲斐の国(山梨)は武田氏の滅亡後、まず織田信長の領国となり、本能寺の変の後は徳川家康の支配するところとなりました。
しかし、豊臣秀吉が天下統一をなしとげると、秀吉の命令により加藤光泰らによって築城が始められ、
浅野長政・幸長父子によって完成をみました。
1600年の関ヶ原の戦い以降は再び徳川の城となり、幕末まで存続しました。
現在では、甲府人の憩いの場になっています。
私もこの地域で生まれ育ちました。
この石垣は、小学校の頃の私達には、度胸試しの場所だった。
大学以降は東京に居たものの、また甲府に戻り、現在でも休日などは散歩やジョギングを楽しんでいます。
そして昨年再開発された甲府駅北口。
武田神社にあった「藤村記念館」が移設改修をされています。

中学時代は、武田神社にあった藤村記念館で探検をしたものです。
今は綺麗になって、とても探検どころではありませんが・・・。
藤村記念館は、明治8年に巨摩郡睦沢村(現在の甲斐市亀沢)に睦沢学校校舎として建てられたものです。
昭和32年までは学校の校舎として、その後昭和36年まで公民館として活用されてきました。
昭和41年、武田神社境内に移築復元され甲府市に寄贈されたものです。
翌昭和42年には国指定の重要文化財となり、
昭和44年から郷土の民俗・歴史・教育・考古資料の展示館として長らく親しまれています。
そして昨年の平成22年10月1日、甲府駅北口に移転し、交流ガイダンス施設として新たに開館しました。
この建物の様式は、山梨県令藤村紫朗が積極的に奨励したとされる擬洋風建築であり、
明治初期から中期にかけ多くの官公舎、学校、商家がこのような様式で建てられました。
県内では、藤村紫朗にちなみ、藤村式建築と呼ばれています。
皆さん、ぜひぜひ山梨までおこしください。
p.s.
このブログは実名を公表しているので、昨日は懐かしい小学校の同級生から連絡をいただきました。
facebookやTwitterでも実名を出しているのだけど、mixiとは違った楽しみ方がありますね。
