スタジオシフト代表の深澤竜也です。


私は15年前に妻をくも膜下出血で亡くしています。

子供はまだ小さく、育てる苦労も正直かなりありました。



そんな15年の経験から、

同じ苦しみを味わってる人達に少しでも光を与えられたらと

、某SNSで死別のコミュニティを作り、管理人をしています。


5年ほどの間にメンバーは4,000人近くになりました、悲しいことですが。

そのコミュには、配偶者を亡くされた方、お子様を亡くされた方、親を亡くされた方、恋人を亡くされた方・・・・病死の方、事故の方、自死の方、そして今回のような被災されて亡くなった方・・・様々な方がいらっしゃいます。


いつも死に近いところで、様々な「生」と「死」を見つめてきました。




今回の震災で被災され、大切な方を亡くされた方達を励ます言葉としてよく聞かれた言葉。


「亡くなった人の分まで頑張って生きろ」

「亡くなった人の分まで生きる義務がある」


私は、この言葉にとても違和感を感じていました。



たしかに亡くされた直後には、響く言葉かもしれないけどね・・・

いつかふと我に返って「頑張るって何? 義務って何? こんなに辛いのに、まだ頑張らなければならないのか?」


いつかそう感じる時が来るんですよね。



今回の震災で、あまりにも多く聞かれたこの言葉についてちょっとだけ考えてみました。



・・・もし自分が生きることに対して、亡くした人に意味を求めるのなら、

亡くした人がやり残したを、代わりにやってあげたいな。



亡くなった人達も、ほとんどの人達が生きたかった。

病気の人も、事故の人も、被災された人も、そして自死の人だって本当は生きたかった・・・でも生きられない理由があったから。


その人達が生きたかった未来を生きることは、それこそが「亡くなった人の分まで」でしょうね。


しかし決してそれは「義務」でもなければ、「頑張る」ことでもない。


自分は自分の人生を歩き出さなければならない、それは亡くなった人のためではなく、今を生きている大切な人達のためです。




強いて言うなら、「生きたいという思いを背負いながら生きる」が正しいのでは・・・私はそう感じています。



「亡くなった人の思いを背負いながら生きる」

亡くなった人も幸せになりたかった・・・その思いと共に生きること、それが残されたものの生きる糧なんだと思う。


そして、だから今生きていられるのだと思う。



どうか亡くされた皆さんも、「義務」とは思わず、決して「頑張らず」に、

亡くされた大切な方の思いと共に生きてください。
スタジオシフト代表の深澤竜也です。


毎日、陸上自衛隊の支援活動のTwitterを拝見しています。

一番新しい画像がこれです↓

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


いまだ、これほどの水があるのか・・・


どうか事故や怪我のないよう祈っております。


これから暑くなってきます。


衛生などを考える余地はないのでしょうが、異臭なども強くなってくるのでしょう。


身体には十分気をつけて頑張ってください。


あなた達が頼りです。


そして誇りです。
スタジオシフト代表の深澤竜也です。


東日本大震災で、私たちは津波の恐怖を見せつけられました。

そして福島第一原発の被災。

そこには、「想定外」という言葉があちらこちらで使われ、問題になっていたようですね。



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これは今回の津波の高さを表したグラフです。

陸前高田市で15.8M・・・ビルの4階程度でしょうか、たしかに想像を絶するもの。


そしてこれは、明治以降に三陸地方が襲われた津波です。

●明治三陸地震 1896年6月15日 本州で過去最大の38.2メートルの津波。死者約2万2000人

●昭和三陸地震 1933年3月3日 最大28.7メートルの津波が太平洋岸を襲い、死者・不明3064人

38.2mと言っているのは、津波が斜面を駆け上がった数字なので、今回の陸前高田市の15.8Mとは比較できません。

東日本大震災では、現在解っているところで岩手県宮古市で38.9mまで駆け上っているのが確認されています。



先ほどに話しは戻りますが、「想定外」とはやはり人間が考えた基準から外れたものとして捉えます。

もちろん歴史のデータを計測して、ここまでは来るだろうと、様々なものが設計設定されています。



しかし相手にしているのは自然なのですね。

何が起こるかわからないのが自然であることは、今回のことでも解ります。

歴史を遡れば、大陸さえ沈んだことがある・・・いや大陸はぶつかりながら、吸収分裂を繰り返しながら、今の状態になったことを考えれば、

地球にとっての長い時間の中で、想定されないことなんてないのではないかと思ってしまいます。



「想定」それは人間が作った判断基準です。

自然は人間の想像をはるかに超えるもの。


しかし・・・想定基準を作らないと、ものは作れないのも事実なんですよね。