いい占い師に出会えましたその2 ~考えろ、玉堂~ | 紫枝の人生は体当たり

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2児の母であり妻。それ以外の肩書不詳。
体当たりで人生生きてます。

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いい占い師に出会えましたその1 ~飛び出せ、車騎~


 『【9月限定】占うんジャー☆いい占い師に出会いたい』の企画、次に鑑定いただきましたのは湊ゆきのさんの『あなたの心の発露を見守る 朝露』です。やだもう名前からして素敵。真似できない。真似するものじゃないけど。


 鑑定結果が添付されたメールには、ゆきのさんからのメッセージが綴られていました。「状況が整わないなかで、よくここまで歩んでこられました。誰かの世界を広げてあげよう、実物を見せてあげようと、ひたすらに心を砕いていらっしゃったのでしょうか。ここだけがすべてではない、ということを芯からわかってもらうために」「積み立ててきた何かが花を咲かせ実を結ぶのは、それこそここから、なのだと思います」

 

 

 

こんなこと言ってもらえたら、もう泣くしかないじゃん。



 しかし、私はこらえました。涙をこらえました。その時、私は電車の中。科学館に行こうと意気揚々と先頭車両に乗り込んでずっと立ちながら線路を見つめていたら疲れてしまって私の膝の上にどっかと座り込んできた車騎息子を抱えていては泣けるものも泣けない。

 

てっちゃん一歩手前の息子

 

 

 狭い田舎。「女の子はどうせ嫁に行くんだから、最悪高校出れなくてもいいんじゃない?」と、私からしたらびっくりすることがまだ平気な顔をして語られる環境。「世界は広い。ここだけが全てじゃない。もっと遠くに行こうと思えばあなたも行ける。勉強をすれば、広い世界がここからでも見えるんだよ。世界はとても楽しいんだ」ーそんなことを子どもたちに伝えたい、感じてほしくて塾を始めましたが、私の想いが熱ければ熱いほど暖簾に腕押し。ブログなどを書いてもなしのつぶて。保護者に直接語って「そうですねー」と言ってもらっても、まるで手ごたえがない。

 

 挙句、やりがい搾取のようにFCの本部にお金を巻き上げられて経済的にも立ち行かなくなったので看板を下ろしたのですが、看板を下ろすと決めたあたりから、不思議と相談が舞い込むようになったのですね(笑)なんでやねん笑い泣き

 

 「英語がすごく苦手なのをどうにかしたい」というありがちな学業の悩みから、「発達障害と言われ、学年が進んでもひらがなの読み書きが不自由」といった「私より専門家のところへ行かれることをお勧めします」という深刻な悩みまで。とりあえずの窓口といった感じで相談を受け、私も私で自分の経験談だけでは足りないので、時には私も本を読んで勉強したり、人生の先輩方に聞いてリサーチしたり、ネットで調べたりしました。

 

 子どもにとって良いことは何か?そこに向かってもらうために、目の前の保護者さんができることは何か?そして、それに対して私ができることは何か?どう伝えるか?

 

 話をするだけで満足される方や別のところを紹介して終了される方がほとんどです。しかし、実際にお子さんを預からせてもらえるとなったら、私も教科書参考書を買って読み込み、どうすればその子が勉強しやすくなるかを考え、時には実物を持ち込み、実験して触って感じてもらって、小学生の子だったら一緒に作ったり遊んだりしました。

 

 空振りもたくさんしました。買ったけど役に立たなかった本もありました。外で遊んでいる時に蚊にも刺されました。マスクして鬼ごっこした時には、もう酸欠で倒れるかと思いました。なんで子どもは平気なんだゲッソリ

先生、もう、ムリ…

 

 

 

 どうして自分はこんなことしてるんだろう?そう考えた時に、私の中で出た答えはこれでした。「この地球で楽しく笑っていたいから」

 

 

 ゆきのさんの鑑定の一行目にはこうあります。「行きたい場所がありました。見せたいものがありました」

 

 

ああそうだ、私は「楽しく笑っていられる」場所に行きたいんだ。そういう世界を子どもたちに見せたいんだ。

 

 

地図もなく一歩一歩、探り当てるように来たこの道は
「道」というのも名ばかりの、私たちだけの足跡。
待ちくたびれたよ、と疲れをにじませながら
可愛らしい笑顔をうかべてこちらを見る同輩に頷きつつ
「でもね、ほらね、本当にあったでしょう?」と
興奮気味に私は同意を求めます。
そんな、私たちだけのために用意された光景を目の前に
私の言葉を信じ続けてくれた人がいることこそ
なんと豊かで代えがたいものだろうと、思い至っています。
なにか素晴らしいものに触れるたび
ふたつとない時間が流れるたびに「これを分かち合いたい」
そんな思いが寄せては返します。
ひとりじめにしてしまうなんて
あまりに惜しくはないかしら。

 

 

 なんて素敵で綺麗な文章なのでしょう。勢いあまって電車の中でPDFファイルを開かなくて良かった。車騎が落ち着いてくれていたおかげで、私は電車の中でぼろぼろ泣かずにすんだ。息子の車騎に翻弄されていただけだけど。

 

 

 

 

私を信じて、託してくれた人々。
その思いに報いるためならば
すこしの擦り傷なんて
ささいな悪路だって
ものともしないのです。

 

 

 子どもたちの可能性を、その瞳が見つめる未来に一緒にいけるなら

 

 

玉堂、いくらでも考えます!

 

 

 考えたことは車騎が実行してくれる大丈夫です。うん。車騎君におまかせドキドキ

 

 

 次回は「役に立ちたい牽牛編」に続きます…(次で最後です)