前回は、温泉の源泉が岸壁から湧き出ていた
というというところまで書きました。
当時のお風呂は洞窟風呂でその上部に窓があったので
「マドの湯」と言っていたようです。
現在も対岸に見えます。
川には丸太橋を架けて歩いていったようです。
夜は、提灯を片手に入りに行ったということです。
ものすごい風情を感じますが、
雪の日や川の水が増水した時は大変だったと思います。
また、文献には、志戸平温泉について
「天王山の麓(天王地区:ホテルから見える橋を渡った対岸の地区)
より沸き出でる温泉を八十二間の筧(樋)にて引き、
温泉場として再興してより・・・」とあります。
近隣の人たちがこの湧き湯口でワラビを茹でたことから
「わらびの湯」といわれたとありますが、
それがどの温泉を指すのかはわかりません。
皆さんは、山菜のあく抜きになべの水に重曹を入れると思いますが、
あれはアルカリ性にしてあくを取りやすくするためです。
志戸平温泉の泉質は弱アルカリ性ですから、
あくが取れやすい温泉ということになります。
昔の人も、知っていたんですね。
2代目は、萬次郎という名前でしたが、父善太郎が亡くなると、
「二代目善太郎」」を名乗りました。
もし、その後も“善太郎”を名乗り続けていれば、
私は「六代目善太郎」ということになります。
いまも旅館で○○衛門とか○○郎を代々襲名している
ところがあります。
例えば、宮城県秋保温泉の佐勘 さんの、現在の当主は
34代目(!)佐藤勘三郎です。
次回に続きます。