前回のつづき。
本家・久保田家(屋号・晴山)と温泉業のお話です。
本家・久保田家が温泉業を始めたのは、三代善助(安永7年、1778年没)の
時代に大沢温泉に温泉場を造ったという記録が残っています。
たぶん、志戸平温泉も同じ頃に所有し、木賃宿
(部屋を貸すだけで薪代として宿銭を取る。)
として始めたものと思われます。
ただし、大沢温泉は本家の直営で、志戸平は番頭(支配人)営業として
代々引き継がれていったようです。
五代平助(四代、五代と平助が続きます。
安政元年、1853年没)、六代平造(明治17年、1884年没)の時代に
全盛期を迎え、前述のような豪農として栄えました。
おそらく、そんな状況の中で、志戸平温泉も宿屋を増築増床したと思われ、
この際、分家とし独り立ちさせようということになったと思われます。
そして、番頭であった者を平助の長女で、平造の姉に当たるイツの婿とする形で、
善太郎と名乗らせ、ここに直系分家11分家あるうちの10番目として志戸平・久保田家が
始まったということです。
ちなみに、いまでも本家を中心に久保田一族の直系分家11家系の付き合いは続いています。
なんか、横溝正史の小説にでも出てきそうな話ですが・・・。
次回は、いよいよ志戸平・久保田家の話へと入っていきます。乞うご期待ください。