久保田家本家の5代目、

平助の長女のイツに婿をとる形で始まったのが、

善太郎を初代とする志戸平温泉の始まりです。




ちなみに、イツの妹キクが嫁いだ先の叔父が

新渡戸稲造であるということで、私の父(大作)は生前、

五千円札の肖像になった時、

「この人は、うちの親戚だからな・・・。」

と自慢げに話していたのを覚えています。




岩手に帰ってきた折には、時々、志戸平に湯治に来ていたようです。

それは、このような縁によるものかもしれません。




初代善太郎が、25才で、妻イツが17才の時といわれており、

善太郎は60才(元治元年・1864年)で亡くなりますが、

イツは明治23年の78才まで生きています。




当時の敷地は豊沢川沿いの平地

(現在の「天河の湯」から「游泉志だて」あたり)と

それを囲んでいる雑木林の約十町歩(10ha)くらいあったようですが、

温泉の源泉は対岸の岸壁からの湧泉であったようです。



今回はここまで。

次回は、当時の温泉風呂の様子について、書きたいと思います。