志戸平温泉の創業は、天保元年(1830年)ですが、
その当時の社会状況はどうなっていたか?
「伊勢御かげ参り 」という、いうまでいう“旅行ブーム”
が起こっています。
全国から伊勢神宮にお参りに行くのが、大流行したのです。
また、翌年(1831年)にロシア船が蝦夷(北海道)に侵入
してきて、役人(東北の藩士)を交戦しています。
そして、創業間もない天保四年から七年まで「天保の大飢饉」
があり、花巻地方でも多くの餓死者が出るという時代でした。
志戸平温泉の創業は、初代善太郎、二代善太郎(同じ名前を継いだ)、
三代音治、四代逸郎、五代大作と続いてきたのです。
そもそもの久保田家のルーツを理解してもらうために、今回は、
本家(屋号・晴山)の話を中心にしたいと思います。
もともとは秋田藩の藩士だったようですが、関ヶ原の戦いで徳川方に
味方しなかったために久保田城を追われ、奥羽山脈を越えて来て、
いまの西晴山地域(志戸平から花巻市内方向に3km程進んだあたり)
に住み着いたのが始まり(本家)のようです。
本家の初代は江戸中期の1700年前後、善三郎という人が始まりと
されていて、二代善右ェ門、三代善助、四代平助と続きます。
(なぜか、“善”の付く人が多いです。)
地元の新田開発や治水、潅漑工事に尽力貢献しながら、
大きな財力を持つようになります。
花巻市内から自宅までの約8kmを自分の田んぼだけを通って帰れる程の
富豪一族になったようです。
ということで、次回は、さらに詳しく本家と温泉業についてのお話を
したいと思います。