やっと来たー!アマゾン!


ここに来る前にはアマゾンといえば仮面ライダーアマゾン

しか思い浮かばなかった。


アマゾン川で船に乗っていると「下には謎の生物がウジョウジョいる」

なんて思うとゾクゾクしてくる。

現地人や地元の子供とピラニア釣りをして、食べたが

淡白で旨かった。

そういえばアマゾンのマナウスには市場があり、そこには

巨大ナマズが売っていたな。



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This is India


ニュージーランドの隣の島、南国フィジーに着いた!
街はインド一色でインド人だらけだ。
インドにも行ったが、インドそのまま。
道路わきには人が固まり、通り過ぎる人をギョロっとした眼で追う。
「怖い」って感じの雰囲気まるだしだ。
そういう人はとにかく一日中することがないんだろうな。。。
こっちも何日か経つと観光もしなくなり、暇つぶしに
現地人に話しかけたりすると彼らは何時間でも話続ける。
そうなってくるともう逃げれない。
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そんなここフィジーはどこか昔へタイムスリップしたようだった。


世界の六大陸中五大陸を渡った男の話!?あとは南極大陸だけだ!

俺、香港人?!


初めてユーラシア大陸に、というかアジアに足を踏み入れたのは香港。
小学生の頃から香港映画は毎日観ていたので、憧れの都市でもあった。

ホテルに荷物を置いて、街を歩くと店の裏、路地裏からは異臭が漂う。
”The Asia"と言った感じだ。

一度来たことあるようなそんな感じにもなった。
何日か街をぶらぶらしていたが、なぜか毎日のように中国語、広東語などで
道を尋ねられていた。
他の日本人は客引きで嫌がってたが、自分には客引きではなかった。

そんなに中国人ぽいのかな?

ゲッ、悪臭漂う機内!


ペルーのナスカの地上絵を観察するためには操縦士を入れて5人乗りの小型ジェット機に乗らなければならない。
大型では地上に接近しにくいし、ヘリコプターでは近すぎて全体絵が見えにくい。
もちろん地上では絵は見ることはできない。


ジェット機は揺れが激しく飛行していたため、ひとりの旅行者が気分が悪くなり嘔吐を催してしまった!
自分はその人の後ろに乗っていたので直接打撃をくらってしまった!

窓を開けての飛行だったので風で固形物が飛行機内に飛び散り、
散々な空気になり悪臭漂い、ゆっくり落ち着いて観光出来なかったのを覚えている。


しかし、この絵はいったい誰が何の目的でいつどのように描いたんだろう?
未だに謎に包まれたまま。。。このように世界中にはまだまま未知の世界だらけだ。

遂に世界三大瀑布制覇!


最初に訪れたのはアメリカとカナダにまたがるナイアガラの滝。
これはトロントの語学学校の友人とみんなで盛り上がりながら、
滝の水しぶきにあたって、喜んだりして観光気分バリバリだった。
ここの面白いのは小さなフェリーに乗って、滝の近くまで行くことができた。


次にアルゼンチンとブラジルにまたがるイグアスの滝。
小型ヘリで上空から近づいていく。
何キロも先からゴッーと滝の音が聞こえて来る。
凄い迫力だったのを覚えている。
いったい、この大量の水はどこからきて、
この勢いは途切れないのだろうか。。。と考えてしまった。


最後にジンバブエとザンビアにまたがるヴィクトリアの滝。
ここはナイアガラの滝とイグアスの滝とは全く違う雰囲気だった。
まず、観光客が少ない事、そして手すりもあまり無く
あっても細い木と針金で作ったような感じの囲い。
だから慎重に見物しないと命を落としかねない。

世界の六大陸中五大陸を渡った男の話!?あとは南極大陸だけだ!-ヴィクトリアの滝


どれも2国間にまたがっている。
国境の役割も果たしているのかな。

というわけで世界三大瀑布制覇した。


でも実はもうひとつ気になる滝がある。
それは落差が世界最大の滝でベネズエラのエンジェルフォール。

いつかは。。。

シドニーではパートタイムだったけど、ここではフルタイムの一日中英語漬けの毎日。


ここの学校はまわりが砂漠のような空地ばかりだった。


校舎は平屋で、教室も広かった。


昼休みも都会ではないので外食はできない。



しか~っし!


ホストマザーのランチときたら、チーズとハムを2枚の食パンで挟んだ物をアルミホイルで巻き、


あとは、リンゴを持たせるだけ。


何じゃそりゃー!!


何これ?!


しかもこれが毎日。


やっぱり俺はホストファミリー”ハズレ”やったなーって思った。


この話を他の日本人に話すと大抵はこんなランチらしい。


あとで聞いたところ、ここの人たちは朝と昼は少食で、夜にたくさん食べるらしい。




クラスメートの話をすると、


確かに日本人は少なかった、そのかわり台湾人が多かった。


しかも富裕層の子供たちばかり、僕ら日本人は20歳代がほとんどだった。


台湾人は15,6歳代だ。


高校に来てるみたいな錯角を起こさせる感じだった。


でも、難しい会話もなく楽しかった。


この方が英会話の上達には良かったと、今は思う。




クラスメートの中にひとりおもしろいヤツがいて。


「Very good!」をこっちでは「Not bad!」って言うのだが、


彼は使い方を間違ってホストファーザーに「Not good!」と笑顔で言ってしまったらしい。。。


かなりみんなにうけていた。


もうひとつ印象に残っている言葉は、


「You're welcome」を「No worry」と言っていた。




彼らとも1ヶ月でお別れだ。


僕はホームステイを出て、スーツケースとボストンバックをかついでローカルバスに乗り、


となり町へ向かった!





単身海外は2回目ということでかなりスムーズに行くことができた!



夜中に空港に到着。


ホストマザーが迎えにきてくれた。


夜中の3時ということで、彼女は眠そうなのか?それとも不機嫌なのか?


家に入ってから、「シャワー浴びていい?」って聞くと、夜中でみんな寝ているから「NO」と軽く言われた。


「えっ?うそー!」


仕方なくそのまま寝た。




翌朝、起きるとオーストラリアらしい小鳥のさえずりが聞こえてきて、さわやかな朝だ。


しかし、ドアの向こうからは筋金入りの太いドスの利いた声が聞こえてきた。


「えっ!?恐っ!」


マフィア風の男が庭に出てきた。


窓から様子がうかがえる。




しかも今日は日曜日だ。


一日中、部屋にいないといけないのか?



仕方がないので格闘技雑誌を日本から持ってきていたので、隅から隅まで読み上げた。


次は筋トレ。。。  その時だ!


ホストファーザーが入ってきた!


「飯食うか?」って聞いてきた。


僕はなぜか「No Thanks!」って言ってしまった。


自分に対してなんで?


腹減ってるのにな~



早く仲良くしないとと思うんだが、なかなかきっかけをつくれない。


パースに何しに来たんだろうって考えた。


あんなにここに来たかったのに帰りたいって何度も思った。



暗くなって寝る前くらいにようやく、僕は庭に出た。


右腕に大きなタトゥの入った体のでかい、チンピラみたいな人がホストファーザーとビール片手に談笑している。


ホストファーザーも似たような格好をして大きなタトゥも入っている。


180センチ以上はあったと思う。


僕もその中に入ってビールを飲みはじめた。



話していると、その子はずっとここに住んでいる日本人だということがわかった。


ちょっと楽になってきた。 


さっきまで帰りたかったのが、すーっとどこかに消えていっていた。



それにしてもえらいホストファミリーに当たってしまったな!


ほのぼのとしたシドニーのホストファミリーとは正反対だ。




ほんと長~っい一日だった。



よし、明日からは学校だ!









シドニーから帰ってきてからはアルバイト生活とスタントマン兼役者の生活にどっぷり浸かっていた。


撮影、バイトと忙しかった毎日で、事務所から夜中に電話がかかってきて、すぐに撮影所に行くこともよくあった。

 

そんな生活を2年位してたときに、電車から見た夕日が、オーストラリアで見たときと同じくらい綺麗かった。


その瞬間、「もう一度オーストラリアに行こう!」


こうと決めたらすぐに実行に移すタイプだったので、渡豪するまで早かった。


今みたいにネット社会じゃなかったので、調べるのに旅行会社を何軒も回った。




そして、バイトをしながら語学を勉強するために学校にも行くことができ、文化も学べるビザがあることを知った。


それは就労ビザではなくワーキングホリデービザだ!


期間は一年だけ。その当時は、オーストラリアの他にニュージーランドとカナダがあった。


ニュージーランドは寒いし、カナダは期間が半年だし、


オーストラリアは行ったことのある国であり、暑いのが気に入った。


生活に慣れるために、向こうでとりあえずはホームステイと語学学校に1ヶ月行くことに決めて申し込んだ。




シドニーより日本人が少ないという理由で行き先はシドニーの反対パース。


シドニーのときは日本人の多さにびっくりしたぐらいだった。


どうしても日本語で話してしまうし、せっかく海外に来てるのだから英語漬けで行きたかった。



いよいよ出発だ!

今、振り返ってみると観光をもっとしておけば良かったと思う。


観光といえばシドニー市内だけだった。


マーティン・プレイス、ハイドパーク、チャイナタウン、ダーリング・ハーバー、
サーキュラ・キー、オペラハウス、シドニー・タワーと何も珍しくもなんともない。


ブルー・マウンテンは行っとくべきだった。。。



中でも思い出に残ってるのはキングス・クロス。

もちろん昼間も行ったけど、昼の顔と違って夜が異様な雰囲気だった。


危ない地域ということを聞いていたので、お金は靴の底に入れて歩いた。
友人と3人で行ったけど、なんてことはなかった。


ただやばそうな雰囲気は感じれたのでよかった。


普通じゃ面白くないもんね。





なんだかんだしているうちにもうホストファミリーとお別れのときが来た。


なっなっなっなっ なんと!
僕一人が泣いてしまった。
涙がかってにでてきやがった! 
え~!!


短い期間だったけど、もう会えないと思うと悲しいのかな?


みんなはホストファミリーとしては何回も経験してるからかあっさり
"Bye Bye!"


なんかひとりで盛り上がってたみたい。。。まっいっか。



とこんな感じで初の海外進出は幕を閉じた!



僕は空港から南下して「レ・パルス」という町にあるホストファミリーの家にホームステイすることになった。

近くにキャプテンクックの上陸記念の地がある。

本当にのどかな町だ。

家族構成は父、母、兄、弟、妹の5人家族。

お父さんは何をしている人か忘れた。

お母さんは主婦、子供達は全員小学校に行っていたかな?

僕は9歳から空手を初めてから今も練習しているが、一生空手道の道を歩くつもりだ。

そんな僕が庭で子供達に空手の型を教えてあげた。

ミュータントタートルズ が流行っていたからえらい喜んでくれて毎日のように空手の稽古をしてあげていた。

僕自身も毎晩寝る前には自主トレで倉庫を借りて稽古をしていた。


お父さんともゴルフ場に行って、教えてもらったりした。

これが初ゴルフ!

練習場は日本みたいにマットではなく荒れた芝生の上、子供達は上手かった。

お父さんと一緒によく来てるんだなと思った。

僕は今もゴルフしているけどこのときはあまり興味なかった気がする。

今お父さんとゴルフしたいなー。





語学学校はボンダイジャンクションで近くには有名なボンダイビーチがある。

学校はパートタイム(午前の授業だけ)を申し込んでいたので昼からは友達とシドニーに行ったり、

町ぶらをしていた。

課外授業でシドニーからフェリーで30分のところにあるマンリーに行った。

リゾートタウンらしいがあまり興味はなかった。

まだ青年だった僕は海外に興味はあるが、これといって観察力や興味心はあまりなく、それより何に対しても好奇心があり、『人生経験』としてすぐに実行する。


だから、スカイダイビングもやってみたいと思って予約してすぐに参加した。

タンデム・パラシューティングでインストラクターが後ろについて飛んでくれる。

15分程度の説明(もちろん英語)と練習でセスナーに乗り込む。

今考えるとこの当時の僕の英語力で理解していたのかなと思う。時速180キロで飛び降りる。というか身をまかしていたから自分のペースもなにもない。

ガーって3000m以上は落ちた、ゴーグルかけてたけど、涙が滝のように後ろに流れていった。

残り1000mくらいのところからパラシュートが開き、ゆーら、ゆーらと5分間鳥になったような気分で右の紐を下にひっぱると右に曲がりというように操作は簡単、しかし着地には参った。

インストラクターが足を上げろといったので上げたが遅かったのか覚えていないけど足が地面に着いてから足をあげてしりもちをつくような形で着地した。


その時はどうもなかったけど、数日間は、あのーよく小学校時代、鉄棒に腰掛けて友達と話してて、足が長時間宙ぶらりんでいた状態から急に地面に着地した時、足がしびれるような感覚 わかります? こんな感じが続いたのは参った!


おそるべしスカイダイビング?!