僕は空港から南下して「レ・パルス」という町にあるホストファミリーの家にホームステイすることになった。
近くにキャプテンクックの上陸記念の地がある。
本当にのどかな町だ。
家族構成は父、母、兄、弟、妹の5人家族。
お父さんは何をしている人か忘れた。
お母さんは主婦、子供達は全員小学校に行っていたかな?
僕は9歳から空手を初めてから今も練習しているが、一生空手道の道を歩くつもりだ。
そんな僕が庭で子供達に空手の型を教えてあげた。
ミュータントタートルズ が流行っていたからえらい喜んでくれて毎日のように空手の稽古をしてあげていた。
僕自身も毎晩寝る前には自主トレで倉庫を借りて稽古をしていた。
お父さんともゴルフ場に行って、教えてもらったりした。
これが初ゴルフ!
練習場は日本みたいにマットではなく荒れた芝生の上、子供達は上手かった。
お父さんと一緒によく来てるんだなと思った。
僕は今もゴルフしているけどこのときはあまり興味なかった気がする。
今お父さんとゴルフしたいなー。
語学学校はボンダイジャンクションで近くには有名なボンダイビーチがある。
学校はパートタイム(午前の授業だけ)を申し込んでいたので昼からは友達とシドニーに行ったり、
町ぶらをしていた。
課外授業でシドニーからフェリーで30分のところにあるマンリーに行った。
リゾートタウンらしいがあまり興味はなかった。
まだ青年だった僕は海外に興味はあるが、これといって観察力や興味心はあまりなく、それより何に対しても好奇心があり、『人生経験』としてすぐに実行する。
だから、スカイダイビングもやってみたいと思って予約してすぐに参加した。
タンデム・パラシューティングでインストラクターが後ろについて飛んでくれる。
15分程度の説明(もちろん英語)と練習でセスナーに乗り込む。
今考えるとこの当時の僕の英語力で理解していたのかなと思う。時速180キロで飛び降りる。というか身をまかしていたから自分のペースもなにもない。
ガーって3000m以上は落ちた、ゴーグルかけてたけど、涙が滝のように後ろに流れていった。
残り1000mくらいのところからパラシュートが開き、ゆーら、ゆーらと5分間鳥になったような気分で右の紐を下にひっぱると右に曲がりというように操作は簡単、しかし着地には参った。
インストラクターが足を上げろといったので上げたが遅かったのか覚えていないけど足が地面に着いてから足をあげてしりもちをつくような形で着地した。
その時はどうもなかったけど、数日間は、あのーよく小学校時代、鉄棒に腰掛けて友達と話してて、足が長時間宙ぶらりんでいた状態から急に地面に着地した時、足がしびれるような感覚 わかります? こんな感じが続いたのは参った!
おそるべしスカイダイビング?!