大江健三郎との運命的な出会い | いおりくんの色えんぴつ

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いおりは2012年生まれのダウン症の男の子。福岡市在住。
ダウン症についてたくさんの人に知っていただきたいと
思いブログをつくりました。

 大江健三郎氏の小説を初めて読んでいる。大江氏のご長男に知的障害があり,しかも音楽家として有名だと知って,以前から気にはなっていたが,背表紙のあらすじを読むと難解そうで,ながらく敬遠していたのだが。図書館にたまたまあった『河馬(かば)に噛まれる』という文庫本だ。(ちなみに最後の短編小説にダウン症候群の赤ちゃんが出てくる。)

 実在の人物や書物,実在の事件・思想―大学紛争やマルクス・レーニン主義―があれこれ出てきて,国語の教科書のように注釈もないものだから,インターネットで知らない言葉を引き引き小説を読んでいる。読者が読みやすいように気配りされた,平成時代の小説に慣れた私には,とても難解だ。

 それなのに読書について記録を残したいと思ったのは,大江さんとのご縁を感じたからである。「四万年前のタチアオイ」という話だ。不幸な境遇から精神を病んでしまった従妹タカチャンとの思い出を題材にした話だが,話の筋にはまったく関係がない。タカチャンが好きだった女優さんと大江氏が一緒に旅をした折,その女優さんがタチアオイという花が好きだと聞き,それを手紙で従妹の世話をしている故郷の伯父へ伝えた。すると,伯父は「孝子の病状が進行し,最近では何もわからなくなってしまった。タチアオイと言ったら四万年,四万年と脈絡のないことばを繰り返し言う。もうだめだ。不憫でならない」と手紙を返してきた。それを読んだ大江は,伯父とは正反対に,タカチャンの精神が今も生きていることを確信し,元気だった若いころのタカチャンを回想する。頭蓋骨に奇形がある長男が誕生し大江が精神的にまいっていた時期,タカチャンがフランス語の論文の翻訳を大江に頼みに来た。(大江はフランス語が堪能で,タカチャンは大学の人類学研究室に在籍していた。)その論文は洞窟に埋葬されたネアンデルタール人骨格の脇の土壌にタチオアイの花粉が含まれており,これは4万年前の人々が花を採ってきて死者とともに葬ったとしか考えようがない,という内容だった。

 小説の本筋には無関係の,このなにげないエピソードに,私はビックリしたのだった。例のごとくタチアオイの花の姿を知らないのでネットで画像検索して確かめた。その瞬間,「四万年前のタチアオイ」が私の記憶によみがえったのである。この話を知っている!

 私は考古学の仕事をしていて,ダウン症の息子が生まれた後,障害者などの社会的弱者は社会の中でどう暮らしてきたのか,まわりの人はどう接してきたのかについての歴史を調べたいと思い立った。そこで,数少ないその痕跡を探して資料を探している。

以下、私の講演原稿から・・・。
 ”人が人を愛する感情。それが表現される場の一つとして「人の死」がある。人間はお墓をつくり,亡き人の死を悼む。では,考古学的にみて,「死を悼む」行為はどこまで古くさかのぼることができるのだろうか。遺跡から人骨が発見されるのだが,その死体が放置されていたのか,それとも意図的に埋葬されていたのかを見分けることは,古い時代においては簡単なことではない。新しい時代では深い穴を掘ったり,お供えの品を入れたりするので簡単なのだが。意図的に埋葬したに違いないと考えてよい事例が幸運にも発見された。 

シャニダール洞窟

 イラク北部にあるシャニダール洞窟がある。その洞窟からネアンデルタール人の人骨化石が写真のように膝を曲げた形で発見された。これが人類最古の埋葬と考えられている。では,どうして意図的に埋葬したと言えるのだろうか。発掘調査のとき,洞窟内のいろんな場所の土を採取して,土の成分を調べている。その結果,ほとんどの地点では何もかわったことはないが,この遺体の周囲の土に限って,いろんな花の花粉が採取されたのである。人骨の周囲から見つかった花は図に示した花である。赤,青紫,黄色と色とりどりである。これらの花は現地のイラクでは5月~6月に一斉に花を咲かせるという。洞窟の中の一か所だけにこれらの花々がまとまって咲いていたとは考えられない。仲間が花々を摘んできて,死者に捧げたのは確実である。この事例からわかるように,人類ははるか昔から仲間を愛するという感情を持っていた。”

供えられた花々

この人類最古の埋葬,人を愛する感情の証拠,とされているシャニダール洞窟の花のひとつがタチオアイなのだ。私は,障害のある息子の誕生をきっかけに始めた思索の旅の中で,この花にたどり着いた。私からさかのぼること40年前。もしかしたら大江健三郎さんも障害のある息子さんの誕生をきっかけに,同じ道をたどってこの花にたどり着かれたのではないかなあと,深い感慨を感じたのだった。そして本の出版(1985年)から約40年後,はじめて手にした大江作品がこの話であったことに,神様の小にくたらしいいたずら心というか,運命らしきものを感じているのであります。


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