タカセ貝入荷!

@シェルナカムラのブログ
300から350gクラスのものが65ケ手に入りました。

どの様にするか考えています。

大きいのはそのまま磨いて卸すのが良いと思って

います。

②タカセ貝の磨いたもの。
@シェルナカムラのブログ

左が皮つきでみがいたもの。右が表皮を取り、磨いて

更に漂白したものです。
手頃のサイズは③バングル(腕輪)にして、他の部分で

適当なパーツ④を作る予定です。


③タカセのバングル
@シェルナカムラのブログ

④タカセパーツ(12支)
@シェルナカムラのブログ

中央のニワトリはベージュ色です。これがタカセの

原色の色です。

周りの12支は漂白しています。

おおむね漂白してパーツ類を作りますが、時には

漂白前の天然のベージュ色のままでも使います。

当社ではナチュラルと表記しています。


よくブログで白蝶貝のパーツを買ったと写真を

載せられていますが、ほとんどがタカセ貝のパーツ

です。これは販売先のお店が白蝶貝と表示して

売られているからだと思います。


前にも私のブログで申しましたが、輸出先の中国が

インボイスにMOP(白蝶貝)と表記するからそれを

信じて販売しているものと思われます。

フィリッピンではMOPとタカセ(Trocus Shell)とは

厳格に区別されています。


タカセ貝は①②の写真のように巻貝です。

白蝶貝は2枚貝です。

白蝶貝は中国では珍珠貝、タカセ貝は鐘貝

(ツリガネ)と書きます。


この命名は珍珠貝、つまり本真珠が採れる貝

から来ており、タカセ貝は貝の形から来ています。

日本名の白蝶貝は2枚の貝を広げると蝶の形を

しているところから付けられたと思います。

蝶の名のつく貝は黒蝶貝、茶蝶貝(マベ貝)、

池蝶貝などがあります。


⑤白蝶貝とタカセ貝のパーツ
@シェルナカムラのブログ

左半分の10mm丸玉と下の50mm丸板とダエン

30x40mmが白蝶貝のパーツ、右半分の上が

タカセ丸玉8mmとヤシのパーツ、その下の

アイヌ娘が漂白したものと天然のいろのベージュ

色です。タカセ貝では8mmの丸玉が限度と思い

ます。但しタカセの芯の部分でしたら10mmの

丸玉も可能です。しかし芯は石灰質の部分が

多くて破損しやすく綺麗ではありません。


昔、セブ島ではよく観光客相手に白蝶貝で出来た

シズク型のペンダントを“MOP!MOP!”と叫びながら

物売りが近づいてきました。


⑥白蝶貝シズク(右ので直径16mmあります)
@シェルナカムラのブログ

その後、日本人の観光客が増えるにつれ、

白蝶貝のペンダントをがざして“アコヤ!アコヤ!”

と叫ぶようになりました。

なぜアコヤと云うのだ尋ねましたら、MOP=mother

of pearl貝(真珠の母)と云ったら日本人がそれは

日本語でアコヤ貝と云うと教えてくれたからだと

云います。

それ以後、全ての物売りが“アコヤ!アコヤ!”と

叫んでいた訳です。


それ以降、近づいて来る物売りにアコヤ貝とは日本の

養殖真珠を作るための貝で、白蝶貝(MOP)は天然の

真珠が宿る貝であり遥かに貴重な貝だと説明し続け

ました。

今ではアコヤ!と叫ぶ声を聞かれなくなりました。


余談ですが、欧米では本真珠とは白蝶、黒蝶貝から

採れた物を指し、日本のアコヤ貝から採れた真珠は

養殖真珠(cultured pearl)と区別されていると聞きます。


しかし、今では養殖技術が発達し、白蝶貝、黒蝶貝でも

養殖真珠が生産されていることはみなさんご存知の

通りです。

現在ははたしてどう呼ばれているかは定かでは

ありません。


白蝶貝が南洋の海に生息することから南洋真珠と

呼ばれていることは存じていますが。




10月29日真鶴の遠藤貝類博物館を見学

してきました。

先ごろ今生天皇、皇后両陛下もお尋ねになり

話題になった博物館です。


故遠藤晴雄氏が収集した貝類が真鶴町立

でケープ真鶴の2階に展示されています。


オープン前に毎日新聞に掲載されて

いましたので、是非見たいと思っていました。


入館料は300円と安い。

先ず入口近くに飾られたオオジャコ貝のペア

の綺麗さに驚きます。(私の持っている現在の

オオジャコは一片で比べ物にならない。)


①アラフナオオニシ貝
@シェルナカムラのブログ
私も10数年前にインドネシアから輸入した物を

1ケ持っていますが,大きさは同じくらいかな。


②オキナエビスの仲間たち
@シェルナカムラのブログ
展示されているオキナエビスの種類の多さにも

見応えがあります。

オキナエビス貝といえばリュウグウオキナエビス

が有名です。

かって大英博物館に死に貝があるのみで絶滅種

の“幻の貝”と云われていました。


それが40年くらい前に台湾で採れて、仲間が

日本に持ち帰り新聞紙上を賑わしました。

たぶん今は鳥羽水族館に保存されているはず

です。当時300万とも350万円とも云われて

いました。


そして沖縄海洋博後、伊江島の漁師さんの網に

この貝が掛かり、生きたまま本部の海洋博の

水槽で飼われていました。

一般には公開されていませんでしたが特別に

館長の許可を得て見せてもらいました。


③ナカヤスカセンもありました。
@シェルナカムラのブログ
故中安清司が発見し、氏の名を冠したカセン貝

です。

図鑑では見ていましたが現物は初めてです。


氏の名を冠した標本貝は他にもありますが、

それが新種であってもきれいな貝以外には氏の

名を付けなかった事です。


④左メキシコアワビ、右アカネアワビ
@シェルナカムラのブログ

とにかくこの博物館が個人で収集された貝の種類

の多さに驚きました。一見の価値ありです。


たぶん今後2度、3度と訪れることと思います。


貝の収集家と云えば土佐清水市の黒原和男

先生を思い出されます。

そして氏が個人で開館された黒原コレクションの

貝の博物館があります。こちらは昭和天皇が

お尋ねになりました。

現在は土佐清水市の管理、運営です。


古来貝の収集をされた方は多いです。その為に

2億、3億円も費やされたとも聞きます。

しかしその方々が亡くなられますと、結局遺族の

方々では維持管理ができなくなりしかるべき施設

に寄贈されて管理、運営がなされている訳です。


収集家として有名な寺町氏、川村氏も同様だった

と聞きます。

黒原コレクションは土佐清水市の管理運営ですが

先生は今なおご健在です。


今一度訪れたくなりました。



今年の暑さは異常で早く秋が来ないかと思いました。

しかし彼岸を過ぎますと急に涼しくなり、暑さが恋しく

なった矢先の沖縄行きでした。


以前からヤコウ貝を集めて下さる方に①2個のヤコウ貝

磨きを手土産です。


@シェルナカムラのブログ

②ひめゆりの塔
@シェルナカムラのブログ
③平和記念公園の戦没者の碑
@シェルナカムラのブログ
④ブーゲンビル島戦没者の塔入口

@シェルナカムラのブログ

到着日は糸満のひめゆりの塔、摩文仁の平和記念公園と

参拝してきました。時間が空いたときはよく訪れます。


修学旅行の学生さんが多かったです。


姫ゆりの塔がきれいなのが不思議に思いましたが、横の

説明文によると昨年改修されたとのことで納得。

④はブーゲンビル島戦没者の碑ではありません。入口の

表示柱です。奥に立派な沖縄独特の門中墓(亀甲墓)が

建てられています。

ここには沖縄出身のブーゲン島戦没者300余名の方々が

祀られているとのことです。


たしか先の大戦で“生きて帰れぬソロモン諸島”と云われて

いたとの言葉を思い出します。


この碑の裏側には健児の塔がこんもりとした

木々に覆われてあります。


ひめゆりの塔(沖縄師範学校女子部、県立第一女学校)が

有名ですが、健児の塔、沖縄工業健児の塔、梯捂の塔、

ずいせんの塔、開南健児の塔、白梅の塔など随分と犠牲に

なられた学生さんが多かったようです。

まだ行っていないこれらの塔を次回に訪れたく思っています。


翌日は今は亡き安部井譲さんの奥さんの店を訪ねました。

安部井さんは内地の出身ですが沖縄で活躍された方です。

とにかく非凡な才能の持ち主でした。一緒に泡盛を飲むのが

楽しみでした。少年のような純真な心の方でした。


⑤安部井さんとの再会の機会がこの針金文字でした。

 奥武山公園近くの明治橋路上での再会でした。

 彼が路上販売していました。
@シェルナカムラのブログ

⑥安部井さんのビーチグラスの作品

ビーチグラスの作品は日本トランスオーシャン航空

の機内誌でも取り上げられました。
@シェルナカムラのブログ

⑦安部井さんの沖縄赤瓦を使ったシーサーたち。

⑥の作品もそうですが漆喰は土佐製を取り寄せる

拘りでした。目玉は当社のプカシェルです。

@シェルナカムラのブログ

彼との付き合いは彼が真鶴で手作り作品を販売して

いる頃、当社によくパーツを買いにこられたものです。

25,6年の付き合いでした。


⑧首里城の石畳、隆起サンゴ(石灰岩)です。
@シェルナカムラのブログ

⑨首里城の城壁、やはり隆起サンゴです。
@シェルナカムラのブログ

⑩宗元寺の隆起サンゴ(宗は上に山が付くと思います。)
@シェルナカムラのブログ

⑪首里の一般の住宅、隆起サンゴがふんだんに

使われていました。街の至る所に使われています。

沖縄諸島がサンゴ礁の島々だと云うことが

良く判ります。
@シェルナカムラのブログ

⑫私が沖縄に行けば毎晩利用する居酒屋です。

@シェルナカムラのブログ

⑬マイボトルです。
@シェルナカムラのブログ

この居酒屋がオープンして30年、私が行きだして

27年です。私もオジィになりましたが、店の方々も

オバアになりました。いつも古酒を飲みながら

沖縄のいにしえを教えてくれた先生も最近は

見えなくなりました。東は太陽が上がるのでアガリ

西は陽が沈むのでイリと読むと教えてくれたのも

この先生でした。(東江がアガリエ、西表島がイリ

オモテと読むのも納得。)

初めて沖縄に行ったのが1971年、沖縄復帰の

前年です。確か薄い紫色した沖縄専用のパスポート

でした。翌年の復帰を見込んで商品サンプルを

持ち込みましたが、税関で持ち込みを許可されず

4時間足止め。

沖縄通関社に保証料を払いやっと許可されたことが

思い出されます。

沖縄が日本であって、日本でないことが身に染みた

あの日です。むろん持参した通貨は米ドルです。


翌日、国際通りの三越に行きますと一階の

アクセサリー売り場には既に当社の商品が

並んでいるのに驚きました。


東京で三越と取引がありましたので、売り場の主任

(たしか仲宗根さん)にお会いして納品業者を

聞きますと“恩納村の喜納シェル”さんとのことです。

早速喜納さんを訪ねますと直ぐに商談がまとまり

ました。


金網ひとつ向こうの基地内は舗装された道路を

米兵の疾駆する車を複雑な思いで眺めながら、

恩納村まで58号線をバスにゆられての旅でした。


ムーンビーチはこれが日本かと驚くほどきれいな海

でした。道端でネスカフェの空き瓶にホタル貝、ノシ貝、

ハナビラタカラ貝で幾何学模様に貼られた筆立てを

US$2.50で買いました。(US$2.50x360円)

海同様にきれいな貝たちでした。

今も社のどこかにあるはずです。


あれから39年、南国育ちの私には沖縄は第二故郷と

言ってもよいくらいです。

マイボトルに3分の2くらい泡盛が残っています。