今年の暑さは異常で早く秋が来ないかと思いました。

しかし彼岸を過ぎますと急に涼しくなり、暑さが恋しく

なった矢先の沖縄行きでした。


以前からヤコウ貝を集めて下さる方に①2個のヤコウ貝

磨きを手土産です。


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②ひめゆりの塔
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③平和記念公園の戦没者の碑
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④ブーゲンビル島戦没者の塔入口

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到着日は糸満のひめゆりの塔、摩文仁の平和記念公園と

参拝してきました。時間が空いたときはよく訪れます。


修学旅行の学生さんが多かったです。


姫ゆりの塔がきれいなのが不思議に思いましたが、横の

説明文によると昨年改修されたとのことで納得。

④はブーゲンビル島戦没者の碑ではありません。入口の

表示柱です。奥に立派な沖縄独特の門中墓(亀甲墓)が

建てられています。

ここには沖縄出身のブーゲン島戦没者300余名の方々が

祀られているとのことです。


たしか先の大戦で“生きて帰れぬソロモン諸島”と云われて

いたとの言葉を思い出します。


この碑の裏側には健児の塔がこんもりとした

木々に覆われてあります。


ひめゆりの塔(沖縄師範学校女子部、県立第一女学校)が

有名ですが、健児の塔、沖縄工業健児の塔、梯捂の塔、

ずいせんの塔、開南健児の塔、白梅の塔など随分と犠牲に

なられた学生さんが多かったようです。

まだ行っていないこれらの塔を次回に訪れたく思っています。


翌日は今は亡き安部井譲さんの奥さんの店を訪ねました。

安部井さんは内地の出身ですが沖縄で活躍された方です。

とにかく非凡な才能の持ち主でした。一緒に泡盛を飲むのが

楽しみでした。少年のような純真な心の方でした。


⑤安部井さんとの再会の機会がこの針金文字でした。

 奥武山公園近くの明治橋路上での再会でした。

 彼が路上販売していました。
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⑥安部井さんのビーチグラスの作品

ビーチグラスの作品は日本トランスオーシャン航空

の機内誌でも取り上げられました。
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⑦安部井さんの沖縄赤瓦を使ったシーサーたち。

⑥の作品もそうですが漆喰は土佐製を取り寄せる

拘りでした。目玉は当社のプカシェルです。

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彼との付き合いは彼が真鶴で手作り作品を販売して

いる頃、当社によくパーツを買いにこられたものです。

25,6年の付き合いでした。


⑧首里城の石畳、隆起サンゴ(石灰岩)です。
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⑨首里城の城壁、やはり隆起サンゴです。
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⑩宗元寺の隆起サンゴ(宗は上に山が付くと思います。)
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⑪首里の一般の住宅、隆起サンゴがふんだんに

使われていました。街の至る所に使われています。

沖縄諸島がサンゴ礁の島々だと云うことが

良く判ります。
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⑫私が沖縄に行けば毎晩利用する居酒屋です。

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⑬マイボトルです。
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この居酒屋がオープンして30年、私が行きだして

27年です。私もオジィになりましたが、店の方々も

オバアになりました。いつも古酒を飲みながら

沖縄のいにしえを教えてくれた先生も最近は

見えなくなりました。東は太陽が上がるのでアガリ

西は陽が沈むのでイリと読むと教えてくれたのも

この先生でした。(東江がアガリエ、西表島がイリ

オモテと読むのも納得。)

初めて沖縄に行ったのが1971年、沖縄復帰の

前年です。確か薄い紫色した沖縄専用のパスポート

でした。翌年の復帰を見込んで商品サンプルを

持ち込みましたが、税関で持ち込みを許可されず

4時間足止め。

沖縄通関社に保証料を払いやっと許可されたことが

思い出されます。

沖縄が日本であって、日本でないことが身に染みた

あの日です。むろん持参した通貨は米ドルです。


翌日、国際通りの三越に行きますと一階の

アクセサリー売り場には既に当社の商品が

並んでいるのに驚きました。


東京で三越と取引がありましたので、売り場の主任

(たしか仲宗根さん)にお会いして納品業者を

聞きますと“恩納村の喜納シェル”さんとのことです。

早速喜納さんを訪ねますと直ぐに商談がまとまり

ました。


金網ひとつ向こうの基地内は舗装された道路を

米兵の疾駆する車を複雑な思いで眺めながら、

恩納村まで58号線をバスにゆられての旅でした。


ムーンビーチはこれが日本かと驚くほどきれいな海

でした。道端でネスカフェの空き瓶にホタル貝、ノシ貝、

ハナビラタカラ貝で幾何学模様に貼られた筆立てを

US$2.50で買いました。(US$2.50x360円)

海同様にきれいな貝たちでした。

今も社のどこかにあるはずです。


あれから39年、南国育ちの私には沖縄は第二故郷と

言ってもよいくらいです。

マイボトルに3分の2くらい泡盛が残っています。