プカシェルについて私の知る限りのことをお伝えします。
プカシェルが40数年前ハワイで発見され、流行したこと、
ハワイにはネックレスを作るだけのイモ貝が存在しない
ことなどは以前のブログで書きました。
平凡社の世界貝類大図鑑によるイモ貝写真。
平凡社の貝類図鑑にはイモ貝だけでも29ページ、
300余りのイモガイの写真が掲載されています。
ただしイモ貝は種類に寄りますが世界中の海に存在します。
ただし寒い海は苦手のようです。
従って以前からプカシェルは存在した訳です。
プカシェルと命名してネクレスにしたのがハワイが最初と
云うのが正しいでしょう。
ネックレスを作るには大量のプカシェルが必要でとてもハワイのみで
採取するのは不可能です。
そこでハワイアンが目を付けたのが貝の宝庫、フィリッピンです。
KING OF SHELLことロックエカントス(セブ)に頼った訳です。
カントスは1年間、秘密裡に夜半フィリッピンの砂浜を堀り続け
大量のプカシェルをハワイに輸出したこと、
唯一日本人の私に輸出してくれたこと、しかし秘密は翌年
ミセスポンセに知れたことなどは以前のブログに書きました。
なぜ知れたか?
プカシェルを得るには金網とスコップに大量の労働者のみが
必要です。
その労働者からの口コミでミセスポンセが知ることと
なった訳です。
当時のフィリピンの海岸では容易にプカシェルを拾うことが
できました。
因みに私もセブの海岸でプカ拾いを経験しましたが
すでにクラスAはありませんでした。
翌年はミセスポンセにも私にのみ輸出を約束してもらいました。
40年前はこの2社を押さえればセブを押さえることが出来たのです。
30歳あまりの私を信用してくれL/Cも要求せずD/Pで、送ってくれ
他の日本人が買いに来ても売らないで約束を守ってくれた
両氏には感謝してもし切れない思いです。
ミスターカントスはある米国人を信用して500万円分のプカを
送ったところ騙されて“ナカムラ腹切りだ(切腹)”と笑って
話してくれたことが思い出されます。
笑って済ませるくらい氏はプカでは莫大な利益を上げた
ことと思います。
写真1.
上が40年前のプカシェルです。
下が現在のプカです。いずれもクラスAです。
現在のプカシェルが肉厚であることがお判りできると思います。
40年前は海から上がった物を選り分けてスーパーA,A,B,Cと
ランク付けがされました。
現在はAになるプカ、Bになるプカと選り分けてそれをガシャ(
コンクリートミキサーのようなもの)に掛けます。
そのためエッジ部分の薄い部分が削られ肉厚になります。
ただしプカシェルをただミキサーに入れてガシャを掛ければ
きれいなプカになるとは行かずかなりの技術が必要なようです。
その技術を持っている者はごく限られているようです。
当然現在でも薄いプカもあります。
しかし大半のプカがガシャに掛けられています。
40年前にはガシャなど掛けなくても大量のプカが砂浜に
眠っていたのです。
プカシェルはホワイトプカ、タイガープカ、ラスティプカに色分けされます。
全てイモ貝の穴の開いた貝のみをプカシェルと呼びます。
ただし40年前に流行したプカシェルはホワイトプカのみです。
14~5mmのタイガーをバラした物です。
上部分が中側ですがスッパとカッター切られています。
つまりイモ貝の頭部を切り落としガシャに掛けて磨き上げた
人工のタイガープカです。
このプカを作れるのはセブでただ一人だけです。
ベージュ色のプカですが錆び色ゆえにラスティプカと
呼ばれているようです。
40年前にはありませんでした。
否、40年前にもあったのでしょうが40年前はホワイトプカのみが
大流行でした。
自然に穴が開くのには貝にもよりますが長い歳月を要します。
従って穴が開く前に採取したものは人工的に穴開けがされます。
むしろこちらのほうが多いのが現状です。
アンティークプカ。
このプカは長く波と砂に洗われたプカです。
糸に通しましたが大きさも不揃いです。
それでも精一杯大きさを揃えて見ました。
この写真では判りずらいですが表面は沢山のクレータ状の
へこみがあります。
中央のプカを見ていただいても変形で穴が自然に開いたことが
判ります。
長い間海にいましたのでアンティークプカと呼ばせてもらいました。
このまま放置すればば波と砂に洗われて砂の仲間入りに
なるでしょう。
アンティークプカでお判りのように15~6mmのプカが7~8mmの
きれいなプカAなどにはならないことが判っていただけると思います。
大きいプカは大きいイモ貝から小さいプカは小さいイモ貝からのみ
作られるのです。
プカと呼ばれるのはイモ貝から出来た物のみが一般的です。
ただそれ以外でフィリッピンでプカの名を冠した貝があります。
その名はクレージプカと呼ばれる貝です。
その貝はコメ貝(フトコロ貝)で出来ています。
やはり波と砂に洗われて穴が開いたものです。
形はさまざまで変化に富んだ貝殻です。
クレージプカ。ただしクレージプカの名はフィリッピンで付けられたものであり、
ハワイアンの付けたプカシェルとは区別されるべきであり
世界では通用しない呼称です。
40年前にミスターカントスのところにプカを仕入れに来ていた
ハワイアンのブレイヤー氏の知己を得てハワイに当社の
アクセサリーを売り込みにも行きました。
氏から品物はすばらしいが値段が高く氏の会社では扱うことが
できない。
商品は必ず売れるので氏が紹介するからアラモアナショッピング
センター、アワイの主だったホテルの売店に直接交渉しろと
言われました。
それでは商品の配送、集金の煩雑さを考えて諦めゴルフを楽しんで
帰国したことでした。
第1次プカシェルブームの時は石原裕次郎を始め多くの芸能人が
プカシェルネックをつけ、各週刊誌の毎週号の表紙はプカシェルを
つけた女性でした。
こんなこともありました。当社の問屋さんが新宿のOデパートに
売り込みに行ったところバイヤーさんが今朝、別の問屋に
5,000円で5,000本注文したが2,500円は偽物ではないかと
言われて私に相談にきました。
私の答えは正真正銘のプカシェルである。決して偽物ではない。
これでOデパートは当社のプカを選んでくれました。
Oデパート側も1、250万円安く仕入れることができただけでなく、
当時の発売価格は9,000円でしたのでかなりの利益を
上げたことと思います。
今度は問屋さんが納期を心配しましたが大丈夫ですと答えました。
ミスターカントス、ミセスポンセは1~2万本のプカは2,3日の内に
送ってくれたのです。
当時はフィリッピンにシガレットサイズ(7~8mm)と注文をしましたが
体格にもよりますので現在は10mmくらいまでのサイズを
注文しています。
当初の2年間はフィリッピンからの輸入をひた隠しにして社員にも
かん口令を敷いていました。
ある新聞社の取材で“10万本あっても足りない”と答えたところ
そのまま記事になるくらいの社会現象になりました。
この年27万本の扱いでした。
前述のように数々のプカをつけた芸能人を見てきましたが
いちばん様になったのはキムタクです。
さすがです。
プカシェルを付けた彼のサーフィン姿を見たいものです。
今その時の写真を探しています。
現在、手持ちのプカシェルも2,000本前後ではないでしょうか。
来年には売り尽くせると思います。
仕入れるかどうかはその後考えますがもう万単位の仕入れは
できません。
最新情報に寄りますとフィリッピンではプカ価格は上昇気味との
ことです。
プカシェルの竹の子のネックレスの注文をもらいました。
品物のあることを忘れていました。
プカシェル竹の子。
プカシェルクラスA。
プカシェル、クラスAの注文をもらいました。
先方の希望は11mmサイズでしたが9~11mmサイズで
了解してもらいました。
しかし希望に沿うように休日、ノギス片手に100本あまりの
プカからジャスト11mmのみを20本厳選しました。
お客様は神様です。
プカシェルの偽物と言えば関西の貝職人さんがイケチョウ貝の
ビーズ(丸玉)を1/3にカットしてその両サイドのドーム型に
糸通しして売り込みにきました。
とてもプカシェルと言うものではありませんでしたが
それほどのフィバー振りだった訳です。











































