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おはようございます。

岡本大輔です。





本日の紹介はこちら

↓↓↓


















【出会い】

仕事をいかに効率よ

く早く楽しくできるのか?

考えていたときに

帯広図書館で借りました。

【本書のテーマ】

自分のストレスが少ないペース

快ペースで仕事を行うには?


【岡本大輔の視点】

ウサギとカメから

ケアマネは何を学ぶのか?



【抜粋と学び】

ウサギとカメより、

日本人はカメの生き方を称えてきた

・・・相手がどうあれ、自分のペースで

ゴールにたどり着くこと。



ほとんどの人がご存知の

ウサギとカメの寓話。


本書はこの寓話を例に

話をすすめていきます。


競争するときのウサギの目的は

なんだったのか?


自分の速さを見せつけること。


カメの目的は何か?


ゴールすること。


ウサギとカメは

山の上の木に行く

という競争をお互いに確認して

行ったにもかかわらず


目的は実は違っていた。


だから、結果として

カメは勝つことができた。



相手を振り回すくらいの

ペースであれば、それは

それで問題になるが、

カメのように相手に振り回されず

一心に自分の目標に突き進むことは


今の自分にも大切なことだと

胸に刻みます。



人は時間が余分にあると

ちょっとでも思うと

その余分な時間をわずかな

余暇時間にあててしまう。


なるほどなと感じました。

先ほどのウサギとカメでも

ウサギは余裕ができたら

畑にあるニンジンを食べて

居眠りをしたわけです。


ケアマネジャーが


・予定より早くケアプランが作成できた。

・担当者会議が予定より早く終わった。


で、どうする?


と問われているのだろう

と僕は感じました。



ここで、「ちょっと休憩」と

休み続けるのか。


本当に3分休んだとして


すぐに空いた10分でできる仕事を

持参しておいて


仕事に着手するのかで


仕事の出来は変わるのだと

思います。



仕事にかかるであろう時間を

正確に見積もることは

自分のペースを感覚的に知っていること。


計画はあくまで計画で

実際の時間はやってみなきゃわからない。


これは確かにその通りであり、

計画通りの時間配分でいけ


というわけではありません。


僕たちの仕事は相手があっての

仕事ですから



相手のペースもあります。


大事なのは

それらを見積もって


どれくらいかかるかを

予想すること。


その予想に向かって行動すること。


だと思います。


どうせ、思い通りにいかないから


といって計画すらたてないのは

論外でしょう。



”計画が大事”ではなく

”どのような流れで進むのかを考えること”が

大事なのです。



【まとめ】

自分の仕事のスピードを知り

自分のできるスピードで

仕事をすることがストレスの

少ない仕事術。


それを実現するにはどうしたらよいのか?


一緒に働く人のスピード等も

ある程度把握する必要がある。


ちょっとした空き時間にできることは

何か?考えて行動してみよう。












チェック項目11箇所。モチベーションを保ったまま時代の要請にある程度こたえられるマイペースが「快ペース」。ウサギとカメより日本人はカメの生き方を称えてきた・・・相手がどうあれ、自分のペースでゴールにたどり着くこと。エネルギー効率から考えると時間が早いのが効率的であるとはいえなくなる。仕事において少ないストレスで片付けることができるかどうか。人は時間が余分にあるとちょっとでも思うとその余分な時間をわずかな余暇時間にあててしまう。マイペース=やる気を最も長く保っていけるような時間の使い方。朝の時間は最も難しい仕事か最も知力を必要とする仕事に活用する。仕事にかかるであろう時間を正確に見積もることは自分のペースを感覚的に知っていること。競争関係→協調関係。

こんにちは。

岡本大輔です。






二日間にわたって行われた

介護支援専門員専門研修Ⅰ


講義の中で

「ケアマネジメントとそれを担う

介護支援専門員の倫理


とありました。



介護支援専門員の倫理綱領の中にも


知識・技能と倫理性の向上が

お客様と社会全体の利益に

つながっていることを認識する


と書いています。




さて、

倫理って何でしょうか?



その講師は


広辞苑かなんか

辞典で調べてきたようで



「相手を人として尊重すること」



これが倫理だと話しました。





・・・それで?



と感じたのは僕だけでしょうか。



広辞苑か何か

調べたら出てくる言葉を

知るために僕たちの講義は

あったのでしょうか?



そもそも、

その言葉の意味を通じて


講師は”倫理”とは何か?


講師が介護の仕事に携わって

(いないかもしれないけれど)


自分の体験から


「私は倫理を〇〇だと思います。」



と伝えるのが


講義ではないか?



と僕は思う。





教科書に書いてあること

プリントに書いてあることを

読むだけの講義ならば



CDかDVDを流せば良いだけの

話でしょう。





その講義で

あなたが話す理由は何か?


あなたが僕たちの前に立って

伝えられるものは何か?




それを伝えるのが

講師の”使命”だと僕は感じる。




僕が講義で

教える立場になったときは


僕じゃなければ伝えられないことは

何か?



規定のラインがあるのは

重々承知の上、


そのラインに沿った上で


僕にしか伝えられないことを


伝えたいと思う。





”倫理”の話に戻しますが、


「相手を人として尊重すること」



と書いてありますが、



それでは

そもそも、”人として”


”人”とは何か?


介護に従事しているあなたは

考えたことはありますか?




人とは何か?



呼吸して

水と食べ物を摂る存在なのか?





僕はこのブログの(PC版

)トップページで


定義していますように




人間とは追求する生き物と

しています。


つまり、


理念を追求し

知を追求し

実践を追及する


それが人間です。



人として尊重すると言うことは


追求することを尊重すること。



・もっとこうしたいという想いを

実現できるよう支援すること。


・もっと知りたいという欲求を

満たせるように情報提供すること。


・もっとこれがやりたいという

夢が叶えられるよう、

実践できるようにすること。



これが僕の考える


「人として尊重すること」であり、



僕の”倫理”だと

確定します。




あなたの”倫理”は

何でしょうか?




おはようございます。

岡本大輔です。




本日の紹介は

こちらです。

↓↓↓















【出会い】

6月16日(土)

帯広市の隣にある音更町に

菊地雅洋さんが講演に

来てくれるので

前準備で購入しました。



前作の書評はこちら

↓↓↓

人を語らずして介護を語るな。/菊地雅洋





【本書のテーマ】

人の暮らしや命に対する

想いを伝えます。



【岡本大輔の視点】

介護を通じて

人としての”あり方”を

考えてみる本。


【抜粋と学び】

地震と津波を天罰と

称した政治家について・・・。



菊地さんのおっしゃるように

「天罰」発言はあってはならない

発言であり、撤回してすむ問題ではない。



それは同感。




どうして、そのような発言をする人が

国のトップにいるのだろうか?



僕はこの部分を読んだときに

考えました。




そもそも、誰がトップを決めたのか?



政治家を決めるのは

国民であり、


内閣総理大臣を決めるのは


国民が決めた政治家たち。




ということは


その最低の発言をした人を

国の中枢に決めたのは誰なのか?





そうです。


僕たち国民なんです。




僕たち国民の誰というわけでなく


全体的に腐りきっている

ということの表れと

考えてみるのはいかがでしょうか?




その腐りきっている表れを見て


僕たちはこれからどう行動するのか?



試されていると

僕は認識しています。




僕1人の行動はちっぽけなものかも

しれませんが、



何もやらずに愚痴るのか?


それはイヤです。





僕が今できることは何か?



早起きと読書を続けて

福祉に問いかけること。



生きる姿勢を正して

知識をつけて

行動し続けること。

発信し続けること。





認知症の人に

やってはいけないことは

すべての人が困惑する行為。

自分に置き換えても同じ、

専門性よりも常識が求められる。



ここは同感です。


先日の

介護支援専門員専門研修Ⅰの講義

精神疾患についてのところで


同様に

認知症の人への対応


とありました。




僕は本書を読んでから

この講義を受けたので


なおさら、実感です。



先日、僕が話した

「認知症ケア」って?


と同じです。




なんで、認知症の人だけ?



認知症の人は

そもそも何なのか?




同じ「人間」でしょ?



この根っこの部分が

なくなっている

医療・介護職が多いんじゃないか?


と僕は感じます。



病人

患者

利用者

高齢者




そもそもは何?




「人間」です。



あなたと同じです。




ニンチと略すことで

相手を蔑んでいることに気付けるか。



この部分は

masaさんのブログで読んでいたので


それをきっかけに僕は

「ニンチ」と使うのを止めました。




認知面の低下があります・・・

短期記憶ができなくて

家族が〇〇



のように


「あの人、ニンチ」

の表現は僕の中で撤廃しました。




あの言葉を使っているときの

自分はどんな気持ちだったのか?




恥ずかしながら


認知症の人のことをぼくは

状態の低下をいち早く

気付けているんだと


得意げになっていました。



街中を歩いている

知的障がい者に対する


「あれはチテキだよ」


という発言と似ていると


僕は感じました。



そのような言葉を使っていることが

蔑みを生むと実感です。




【終わりに】

講演前日となり、

ワクワク・ドキドキが高まっています。


僕は講演当日、

菊地雅洋さんに

聴きたいことがあります。


講演の途中か終わりか

質疑応答には真っ先に

質問したいことがあります。



「菊地さんにとって

人とは何か?」



人について

ここまで深く書籍を

書ける人は


「人は〇〇だ」と感じているのか?


菊地さんの人間観

価値観に触れていきたいと思います。




目の前にいる人の

人生観に触れることが


僕の人生を高めることだと

思っています。







チェック項目20箇所。地震と津波を天罰と称した政治家について・・・。人は人を愛するために生まれる、愛を大切にして生きることがこの世で生かされている私たちの使命。困難ケースでも通常のケースでも収入は同じ、自分のやり方を押し付けるケアマネの存在。普通の感覚は何か?考える機会が必要。一生懸命がんばらないと良い生活が作れないという価値観しか存在しない場所で人は生きていけない。普段から根拠を考えることは大事。認知症の人にやってはいけないことはすべての人が困惑する行為。自分に置き換えても同じ、専門性よりも常識が求められる。ニンチと略すことで相手を蔑んでいることに気付けるか。高齢者の世代間ギャップ・・・大正生まれと昭和生まれでの違い。1人だけの特別を許すのか・・・同じ立場になったときにすべての人に選択できる権利があることを示す。制限はバカでもできる、できることを探すのは専門家しかできない。気付く人。