今日から子どもと心がかよう魔法のことば/木下 山多 | ブログ

ブログ

保存用

こんにちは。岡本大輔です。
昼の紹介はこちらです。
↓↓↓
著者 : 木下山多
明日香出版社
発売日 : 2013-03-18









【出会い】
30代で人生を逆転させる1日30分勉強法/石川和男
 の石川和男さんからの紹介で著者の木下山多さんから献本していただきました。ありがとうございます。

2年くらい前、まだこのブログが始まって間もないころに、サンタが贈るお母さんの教科書/木下山多 を紹介したところ、サンタのかけ込み寺 by 木下山多 にリンクを貼っていただきました。
※ 僕のブログをリンクしてもらったのは確か初めてのことだったのです。


【本書紹介のねらい】
~本書抜粋より~
大事なのは、大人が子どものそのままを受けいれ、そのままで良いということを心から伝えることだったのです、そうすれば、「大人が望むように」ではなく、「子ども自身がなりたい自分に」どんどん進化していくのです! 

タイトルにつけた「魔法のことば」の「ことば」ですが、これは単にどう話しかけたらよいかといった、「言葉」のみを意味するわけではありません、人と人が心をかよわせるためのあらゆるコミュニケーション、心の持ち方、人としてのあり方をふくみます。


教育現場で働くあなたや子育て中のあなたへ。介護現場で働くあなたへ。



【気になった抜粋】
あらゆるコミュニケーションにおいて、「省力」と「歪曲」と「一般化」が起こってしまうのでまったく誤解が生じないようにする、ということはできないのです、それは、たとえ両者が「完璧に誤解なく理解しあえている」と感じているときでも同じです。

【響いた抜粋と学び】
著者の木下山多さん(実名ですよ!)、12年勤めた総合商社を退職しました。それはあの「酒鬼薔薇事件」がきっかけです。35歳で教員となりNLPも学びます。

表紙の絵柄、ことば、書籍の紙質までも優しさに包まれています。

Facebookで直接やりとりさせていただいたところ、本書は
「ビジネス書としても非常に使える」
とのことです。

さて、読み解いていきましょう。

本来の「子育て」とは、「親が子どもに対してなにかをしてあげる」というかたちではなく、「親も、親として子どもと一緒に育っていくべきもの」だと思います、「子どもだけが育つ」のではなく、「家族が一緒に育っていく」という感覚が必要だということです。

ここは介護現場の観点から話させていただきます。介護の現場でも介護者である職員が介護される高齢者(お客様)に”してあげる”という想いが出ることあります。
もちろん、身体面、精神面、その両方において、介護が必要な状態になっていると介護認定で判定されたために、介護サービスを受けていることは間違っていません。しかし、”してあげる”でいいのか? ということです。

高齢者に介護を”してあげる”ではなく”させていただく”という視点。僕たち介護者だけが一方的にお客さまに介護をする……”してあげる”ではなくて、高齢者にも”させていただく”を実践してもらってはどうか? ということです。
僕の話で言えば、ケアマネとして自宅訪問した際にお客様やご家族様に身体面、精神面等の状態の聞き取りや観察などはもちろんですが、それ以外にも世間話をします。
特に最近では僕は畑仕事をするので、庭に畑をしているお客様にはその話題を振ります。すると、お客様はイキイキと畑仕事のことを教えてくれます。
コンポストの使い方もお客様に教えていただきました。
高齢者は社会的弱者でしてもらう存在、なんていうのは一部の介護者が作り出した幻想に過ぎないと思っています。

子どもが大きくなると、徐々に親と話さなくなるという話をよく聞きます、そういう家庭では、親が家庭内で自分のことをまったく話さず、子どものことばかりを聞こうとしている傾向にあるものです。

これはビジネスの現場でもそうですね。自分から心を開かないと相手にいきなり質問しても応えてくれませんね。
ちなみに我が家でも僕はよく子どもたちに
「今日の学校(保育所)はどうだった?」
と聴くのがお決まりで、仕事のことを話したことがありませんでした。

ですので、早速言ってみました。
「今日は雨の中、車に乗ってでかけてばっかりだったよ」

……何を喋っていいのかわからない子供たち。沈黙の時間が流れる。
あれ? ……今まで自分のことを話したことがなかったから、いきなり話されて子供たちも困惑したのだろうか。

「ナメられてはいけない」と考えている時点で、相手のことを下に見ている、「ナメている」ということなのです、相手を人間として見下している状況でのみ、「ナメられてはいけない」という発想が生まれるわけです。

知的障がい者施設で働いていた時のことを思い出しました。その手の施設では、入所している利用者が職員のことをよーく見ているわけです。この職員ならここまでは許されるだろう、この職員はまだ入ったばっかりだから、俺の方がエラいんだ、なんていうのがあるから気を付けてな、と先輩たちから教えられました。

僕も子供の頃はどの先生のときは怒らない、どの先生は怖いから静かにしておこう、というのを実践していたわけで、それは子供だろうと大人だろうと障がいがあろうとなかろうと変わらないんだ、と思いました。

ここでの抜粋でさらに確信しましたが、ナメられるとかナメられない、なんてどうでもいいことなんだ、と。
ナメられちゃいけない、というのはこちら側のちっぽけなプライドが影響するだけなんだ、と。

子どもをしかるときには、「行為」を「人格」と切り離すことで、しかられているのは、あくまでもその「行為」であり、自分の「人格」とは別物であることを認識させ、冷静に反省させることができるのです。

子育て本には必ず書いてあることばなんですが、今年5歳になる次男としょっちゅう喧嘩している僕にとってはハッと気づかされました。
実は次男の行動以上に人格を否定していないか? と。
反省ですね。

そもそも人は、自分の苦手なものを克服する方向に生きる傾向があります、そして、「苦手」だと思っているものほど、その人にとって「大事」であることが多いのです。

僕は小学生の頃、本を読むのが苦手でした。想像できないし、読むのが大変だし。読書感想文もなかなか書けずに困っていました。

そんな僕が気付けば文章を書くのが好きで、読書が得意になってのも何かあるんでしょうね。僕にとって文章を書く、読書、というのは大事なことだったんでしょう。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

コメントは自由制です。一見さんも読者も大歓迎です。
返信は24時間以内にいたします。
※心無い非難・誹謗・中傷等は削除させていただきます。


著者 : 木下山多
明日香出版社
発売日 : 2013-03-18